この作品も、家庭崩壊を描いています。
主人公の小学校中学年の男の子の父親は、祖母(父親の母)の介護を母親にまかせっきりにして、女の家で暮らしています。
「力(りき)」というのは、父親が泥棒除け(主人公以外に家には男がいないので)にと、勝手に連れてきた秋田犬の名前です。
祖母は、嫁である母親にはつらくあたりますが、主人公は猫かわいがりしています(はっきり書かれていませんが、祖母は今で言えば認知症にかかっていて、主人公を子どもの頃の父親だと思い込んでいるようです)。
祖母が死んだ(父親は葬式も通夜も母親にまかせっきりです)翌朝、ようやく家に帰ってきた父親に力(りき)がかみつきます。
そのままほおっておけば、力(りき)は父親をかみ殺せたようなのですが、いつも世話をしている母親がとめたために牙をぬきます。
その隙に、父親は鉄パイプで力(りき)をなぐり殺してしまいます。
主人公は、血にまみれた力(りき)の死骸を抱きしめて、死ぬ時に力(りき)が出したのとそっくりの鳴き声でウォォーンと叫び続けます。
それでも自分勝手なことを言い続ける父親に向かって、母親は顔をおおっていた手をはなして、「帰ってください。」と言いました。
それは、母子による父親への決別の宣言だったのでしょう。
そして、力「りき」の死は、彼らの精神的な死(身勝手な父親による精神的な虐待による)の身代わりだったのでしょう。
この作品は、いい意味でも悪い意味でも、非常に文学的な作品です。
家庭崩壊、老人介護などの深刻な問題を、象徴的な表現を多用して描いています。
この本が出版された1992年ごろは、児童文学の出版バブルがまだ続いていて、非常に多様な作品が出版されていました。
その中には、この作品のような小説的手法を使った作品もたくさん含まれています。
児童文学評論家や研究者は、このような作品の出現を児童文学の「一般文学への越境」と呼んでいます。
他の記事にも書きましたが、この現象は児童文学が新しい読者(若い世代を中心にした女性)を獲得するのには寄与しますが、その一方で児童文学にとってコアな読者である小学生高学年の子どもたち(特に男の子たち)の児童書離れを引き起こしました(それ以外にも理由はあるのですが、詳しくは関連する記事を参照してください)。
また、皮肉にも、そうした作品を書いた多くの作家(特に女性)は実際に越境してしまって、本質的な意味では児童文学の世界に帰ってこない作家もたくさんいます(多くは片手間には児童書も出版しています)。
念のために書いておくと、この作品の作者である村中李衣は、一般文学へは越境していかずに、児童文学やそれを使った療法の分野でその後も大きな成果をあげています。