内容自体は、ほとんどが講師の幼年文学に関するいくつかの論文と重複しているので、ここでも重複することを避けるために書きませんので、それらの記事を参照してください。
絵本とヤングアダルト向け作品の隆盛に挟撃されて、児童文学の本来の読者である小学校高学年向けの児童文学作品の空洞化が問題だとする講師の指摘はその通りなのですが、それを幼年童話にまで適用して「絶滅危惧種」としているのは講師自身も書いているような「大げさ」です。
例によって、出版点数の推移などの具体的なデータは示されずに、講師の印象で述べているのですが、実は幼年文学はここでも紹介されているようにいろいろな試みがされていますし、この講演当時(2009年)は、まだかつての「現代児童文学」の書き手にとっては残された少ない出版チャンスの分野だったのです
ただし、その後2010年代からは、彼らの主戦場も幼年文学から絵本のテキストへ移りつつあるのは事実です。
この「絶滅危惧種」に限らず、講師の講演や論文は、講師自身も認めているように、「「ひろすけ童話」の運命」、「「声」との別れ」、「口誦性」、「幼年童話が「俳句」になっている」、「深い言葉の耕し」など、講師自身の言葉で言えば「かっこつけ」のキャッチ―な表現が目立ちます。
これは、受講者や読者を引きつけるためには効果的だと思うのですが、ともするとその意味する本質からミスリードする恐れがあります。
この講演を要約すると、(タイトルが、「幼年文学」ではなく「幼年童話」になっていることでも明らかなように)、幼年文学は散文的表現の「現代児童文学」から詩的表現の「童話」へ回帰すべきだということになると思うのですが、論文自体は「現代児童文学」よりもさらに散文的に書かれるべきだと思います。
講師は、その文才を論文で発揮しているのかもしれませんが、それならば評論だけではなく、実作でも発揮されたらどうでしょうか?
さて、ここでも講師が強調している黙読に適した「現代児童文学」と音読に適した「童話」の違いは、非常に重要な問題です。
講師が紹介しているような「口演童話」や「ストリーテリング」は、現在行われている「絵本」の「読み聞かせ」や紙芝居以上に、子どもたちを児童文学に結び付ける働きをする可能性があると思います。
ビジュアルな要素が少ない(演者の姿かたちや表情などだけ)ので、子どもたちが言葉だけで物語世界を喚起させることのきっかけになるでしょう。
現在の子どもたち(大人たちも同様ですが)の物語消費は、電子ゲームやアニメやカードゲームなどのよりビジュアルな媒体へ移っています。
この状況において、「言葉」というより抽象性の高い媒体で物語世界を喚起させる力は、子どもたちにはますます失われていると思いますので、それらを向上させることが期待されます。
ただし、何も小道具を持たずに、子どもたちを引きつけなければならないので、演者たちにとっては、かなりハードルが高いかもしれません。
一方で、そうしたものに向いた幼年童話を作家たちが書くためには、講師が紹介した「浜田広介」が「声を出して読みながら自分の作品の推敲をして、音読した時の調子や響きを改善していた」というエピソードはヒントになるかもしれません。