アジア太平洋戦争が終了してから「現代児童文学」がスタート(一般的には1959年とされています)するまでの期間を、宮川は「空白期」と呼んでいます。
この時期の代表的な作品群として、無国籍童話(国籍不明の架空な場所を舞台に書かれている主に短編のことで、かといって確固たる架空の世界が確立されてはいない作品に対する蔑称)をあげています。
実は、現在でも同人誌などでは「無国籍童話」をしばしば見かけます。
特に、初心者の作品に多いと思われます。
リアリズムの作品を書こうとすると慣れないうちはいろいろな制約があって書きにくいのですが、作品世界を架空の舞台に設定すると比較的のびのびと書けるようです。
とはいっても、確固たるファンタジー世界を構築する力量はもとよりないので、いわゆる「無国籍童話」になってしまうのでしょう。
現在、商品化されているお手軽ファンタジー作品にも、「無国籍童話」と同根なものを感じます。
宮川は、これらが書かれた理由として、それまでの近代童話が「詩としての童話」であり、新しい現実(民主主義を例にあげています)を描く方法として未成熟だったとしています。
宮川は「空白期」の例外として、竹山道雄「ビルマの竪琴」と壺井栄「二十四の瞳」をあげています。
しかし、これらの作品の児童文学史的な位置づけや「現代児童文学」との関係はほとんど述べられていません。
「ビルマの竪琴」については簡単な作品紹介しか書かれていませんし、「二十四の瞳」についても「赤い鳥童謡」と「唱歌教育」の対立構造を示したのと児童文学研究者の石井直人の言葉を借りて「きまじめなエンターテインメント」と定義したにすぎません(ここで「きまじめなエンターテインメント」の例として、灰谷健次郎「兎の眼」について言及していますが、唐突すぎて論文の構成としてどうなのかと首をひねりました)。
この二つの作品は、繰り返し映画やテレビドラマにもなり、戦後児童文学の古典として一般には定着していますが、児童文学界での取り扱いは依然として冷遇されたままです。
その理由は、作者たちが児童文学の世界では部外者(竹山はドイツ文学者で東京大学教授、壺井栄は小説家)であり、特に竹山は思想的に反動的であると児童文学の主流派(今ではすっかり弱くなっていますが革新勢力としての運動体でした)からみなされていたことが、その大きな理由でしょう。
彼らが児童文学に取り入れた小説の手法は、1980年代に入って児童文学の世界でも一般的になるのですが、それらの関連に関する研究は管見ではあまりなされていないように思われます。
最後に、宮川は、この時期のその他の例外的な作品として、石井桃子「ノンちゃん雲に乗る」、与田準一「五十一番目のザボン」、国分一太郎「鉄の町の少年」、石森延男「コタンの口笛」をあげていますが、これらと「現代児童文学」との関連も不明なままです。
この時期の代表的な作品群として、無国籍童話(国籍不明の架空な場所を舞台に書かれている主に短編のことで、かといって確固たる架空の世界が確立されてはいない作品に対する蔑称)をあげています。
実は、現在でも同人誌などでは「無国籍童話」をしばしば見かけます。
特に、初心者の作品に多いと思われます。
リアリズムの作品を書こうとすると慣れないうちはいろいろな制約があって書きにくいのですが、作品世界を架空の舞台に設定すると比較的のびのびと書けるようです。
とはいっても、確固たるファンタジー世界を構築する力量はもとよりないので、いわゆる「無国籍童話」になってしまうのでしょう。
現在、商品化されているお手軽ファンタジー作品にも、「無国籍童話」と同根なものを感じます。
宮川は、これらが書かれた理由として、それまでの近代童話が「詩としての童話」であり、新しい現実(民主主義を例にあげています)を描く方法として未成熟だったとしています。
宮川は「空白期」の例外として、竹山道雄「ビルマの竪琴」と壺井栄「二十四の瞳」をあげています。
しかし、これらの作品の児童文学史的な位置づけや「現代児童文学」との関係はほとんど述べられていません。
「ビルマの竪琴」については簡単な作品紹介しか書かれていませんし、「二十四の瞳」についても「赤い鳥童謡」と「唱歌教育」の対立構造を示したのと児童文学研究者の石井直人の言葉を借りて「きまじめなエンターテインメント」と定義したにすぎません(ここで「きまじめなエンターテインメント」の例として、灰谷健次郎「兎の眼」について言及していますが、唐突すぎて論文の構成としてどうなのかと首をひねりました)。
この二つの作品は、繰り返し映画やテレビドラマにもなり、戦後児童文学の古典として一般には定着していますが、児童文学界での取り扱いは依然として冷遇されたままです。
その理由は、作者たちが児童文学の世界では部外者(竹山はドイツ文学者で東京大学教授、壺井栄は小説家)であり、特に竹山は思想的に反動的であると児童文学の主流派(今ではすっかり弱くなっていますが革新勢力としての運動体でした)からみなされていたことが、その大きな理由でしょう。
彼らが児童文学に取り入れた小説の手法は、1980年代に入って児童文学の世界でも一般的になるのですが、それらの関連に関する研究は管見ではあまりなされていないように思われます。
最後に、宮川は、この時期のその他の例外的な作品として、石井桃子「ノンちゃん雲に乗る」、与田準一「五十一番目のザボン」、国分一太郎「鉄の町の少年」、石森延男「コタンの口笛」をあげていますが、これらと「現代児童文学」との関連も不明なままです。
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