1934年に書かれた児童文学の古典です。
前作の「エーミールと探偵たち」の五年後に書かれたのですが、作品世界の中では二年後ということになっています。
もちろん単独でも楽しめるのですが、読者に親切なケストナーは、前作を読んでない読者(彼の言葉によると門外漢)も、読んでいる読者(彼の言葉では専門家)も、ともに楽しめるように二種類のまえがきを用意しています。
作品世界の中でも、「エーミールと探偵たち」はベストセラーになり映画化もされています(それは現実でも同様でした)。
わかりやすく現代の児童文学界に置き換えれば、あさのあつこの「バッテリー」がベストセラーになって映画化されたようなものです。
ただし、娯楽の少なかった当時の児童文学や映画は、現在とは比べ物にならないほどインパクトは持っていたでしょう。
あさのあつこは映画に出演しましたが、ケストナーは作品の中に登場します。
これは、彼の作品の大きな特徴で、「エーミールと探偵たち」でも「飛ぶ教室」でも本人が登場します。
それは、彼が出たがりなばかりではなく、作品に大きくコミットしているからです。
作品を紹介するために、彼の手法にならって、この作品の最初に掲げられている十枚の絵を使いましょう。
第一は、エーミール自身。
前作から二年後なので、日本でいえば中学一年生ぐらいです。
相変わらず優等生でおかあさん思いですが、そういった言葉から連想されるような嫌な奴ではなく、正義感にあふれた愛すべき少年です。
第二は、イェシュケ警部です。
エーミールのおかあさんにプロポーズしています。
とてもいい人なのですが、そのためにエーミールも、おかあさんも悩んでいます。
本当は、二人で水入らずで暮らしたいのですが、将来のこと(おかあさんはエーミールの将来、エーミールはおかあさんの将来)を考えると再婚をした方がいいと思っています。
第三は、教授くんが受け継いだ遺産
バルト海の保養地にある大きな別荘で、教授くんは大おばさんから遺産としてもらいました。
教授くんは、「探偵たち」の主要メンバーで主に知性を代表しています。
児童文学の世界では、いかに「教授くん」のキャラの追随者が多いことか。
教授くんは、法律顧問官の息子でこのような高額の遺産を受け取るほど裕福です。
一方、エーミールは、おかあさんが自宅の台所で美容師の仕事をして、苦労して育てられています。
ケストナーの作品の大きな特徴としては、このような貧富の差を軽々と乗り越えて少年たちが友だちになることであり、その一方でお金を汚いものとして扱わずに生きていくのに必要なものとして淡々と描いていることです。
第四は、警笛のグスタフ
彼は前作では警笛しか持っていませんでしたが、今ではオートバイを持っています(彼は14歳ぐらいなのですが、当時のドイツでは一定排気量以下のオートバイには免許はいらなかったようです)。
警笛のグスタフも、「探偵たち」の主要メンバーで、主に体力と食欲を代表しています。
彼もまた、児童文学の世界に多くの追随者を持っています。
第五は、ヒュートヘン嬢
エーミールのいとこで14歳です。
この年齢では、男の子より女の子の方が成熟するのが早いのは、古今東西を問いません。
作品では、少年たちと大人たちを結ぶ役割を果たしています。
第六は、汽車をつむ汽船
バルト海沿岸や対岸のスウェーデンを結んでいました。
ここを舞台にエーミールと探偵たちは大活躍するはずでしたが、ハプニングが起きて半分が参加できませんでした。
第七は、三人のバイロン
ホテルの出し物として出演していた軽業師とその双子(実は親子や双子というのは出し物上の設定で、三人とも赤の他人です)です。
大きくなりすぎて軽業ができなくなった双子の一人を置き去りにして夜逃げしようとして、それを阻止しようとする探偵たちと対決します。
第八は、おなじみのピコロ
ピコロとは、ホテルの見習いボーイの少年のことです。
彼は、前作でも探偵たちを助けて活躍しました。
小柄で身の軽いところを見込まれて、新しい双子の一人になって一緒に逃げるように軽業師に誘われています(「三人のふたご」という変わったタイトルは、このように三人の少年が双子の役をするところからきています)。
第九は、シュマウフ船長
ピコロのおじさんで、商船の船長ですが自分のヨットも持っています。
第十は、ヤシの木のある島
バルト海にある無人の小島で、ヤシの木は植木鉢に植わっています。
教授くんとグスタフとピコロが、シュマウフ船長のヨットでセイリングしていて、この島にのりあげたために、三人は軽業師との対決に参加できませんでした。
この作品は、ケストナーの母国ドイツではなく、スイスで出版されています。
この当時、ケストナーは、ナチスの弾圧を受けていて、国内での出版ができなかったからです。
そんな過酷な状況の中で、こんなユーモアに富んだ明るい作品を書いたケストナーに敬意をはらいたいと思います。
90年前に書かれた作品ですので、今の感覚には合わないところや若い読者にはわかりにくいところもたくさんあるでしょうが、以下のような児童文学としての普遍的な価値を持っていると思います。
1.子どもたちを一人の人間として尊重している。
2.常に大人側ではなく子どもの立場に立っている。
3.現実の大人たちには失望していても、子どもたちの未来には限りない信頼を置いている。
私事になりますが、私が幼いころに愛読していた「講談社版少年少女世界文学全集」にはケストナーの巻があり、「飛ぶ教室」、「点子ちゃんとアントン」と共にこの作品(「エーミールとかるわざ師」というタイトルになっていました)が入っていました。
病弱で学校を休みがちで友だちがいなかった小学校低学年の頃の私にとって、この作品のエーミールたちや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーたちが、本当の友人でした。
そして、病気が治り学校へも休まずに通えるようになった時に、新たに友達を作る上で、彼らから学んだ友だちへの信頼やいい奴の見分け方などは大いに役立ちました。
今、友だちがいなくて悩んでいる男の子たちには、ぜひこの本を読んでもらいたいと思っています。
あいことばエーミール!(前作とこの作品で使われた少年たちの合言葉です)
エーミールと三人のふたご (ケストナー少年文学全集 (2)) | |
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