別名:不来方(こずかた)城
盛岡城は慶長二年(1597)に鋤初め(起工)をしたと伝えられ、翌三年に豊臣秀吉の許可を得て本格的築城が始められました。その後、寛永年間にかけて城郭の整備が進められ、盛岡藩主南部氏20万石の居城でした。
城は当時の北上川と中津川の合流地点近くの丘陵に築かれ、本丸・二の丸・三の丸を中心に、腰曲輪(淡路丸)や榊山曲輪などの平坦部が配置されています。本丸や二の丸の一部では自然石を用いた築城当初の石垣、また、二の丸の西側では貞享三年(1686)に積まれた切石の高石垣など異なる年代のさまざまな石垣が見られます。(盛岡城跡案内板より)
素晴しい石垣が、雪で隠されている部分も有るのだが、桜が有名だけあって、とにかく木が多すぎて見難いと感じた。
二の丸から本丸に架かる橋
盛岡城は慶長二年(1597)に鋤初め(起工)をしたと伝えられ、翌三年に豊臣秀吉の許可を得て本格的築城が始められました。その後、寛永年間にかけて城郭の整備が進められ、盛岡藩主南部氏20万石の居城でした。
城は当時の北上川と中津川の合流地点近くの丘陵に築かれ、本丸・二の丸・三の丸を中心に、腰曲輪(淡路丸)や榊山曲輪などの平坦部が配置されています。本丸や二の丸の一部では自然石を用いた築城当初の石垣、また、二の丸の西側では貞享三年(1686)に積まれた切石の高石垣など異なる年代のさまざまな石垣が見られます。(盛岡城跡案内板より)
素晴しい石垣が、雪で隠されている部分も有るのだが、桜が有名だけあって、とにかく木が多すぎて見難いと感じた。
二の丸から本丸に架かる橋