街から本屋が消えている。
京都市内でさえ半減している。
私が何故、京都に行くか?それは単純に「本屋が多い(多かった)」である。
「本屋以外に何をやっても繁盛する場所に、本屋がある」のが京都でした。
蛇足ですが、書店員の休日はほとんどの人が別の「本屋」に足を運んでいる。
今、近所のいきつけの本屋に行っても買うモノ(本)がない。
やっつけ仕事(口述筆記)の本や雑誌(カタログ寄集め)ばかりです。
それでも入店した以上は何とか一冊は買わねばなりません。
もうこれは本当に苦行に近い。
「書店千日回峰業」です。
店側が売りたい本は一番買いたくない本。そこは見え見えです。
店の主体性、店長の仕入れの選択眼なんて一切感じられないわけです。
ひょっとして自分がつまらないからかもしれない。
本屋に行けば今の時代が解る。今は「ソロキャンプ」や「焚き火」の案内書も多い。マニュアル世代なのだ。
こんな事柄を本を読まなければ出来ないのだろうか?
「焚き火」するのにムック本を必要か?
世も末だね。
なあに今に始まった事ではない。
こんな連中が「焚き火は本当に癒される」なんて言ううんだよ。
ジムニー前で。
「ちゃんちゃらおかしい。」
実際、キャンプ場に行けば、そんな奴等ばかり一杯居るんだろうね。
エロキャンプならしたい。エロの無いキャンプなんて。。でもキャンプ場そのものに行ったことがない。持ってくのは缶ビールとツマミだけでいいね。
「やる気ヨシ 現地は満員 ソロキャンプ」
芭蕉の高弟。(私)
「満員で 一人きり ソロキャンプ」
芭蕉の高弟。(私)
「盆のころ ガイドブックで アウトドア」
芭蕉の高弟。(私)