■ 「ダンパー」と呼ばれる空調設備部材を「焙煎」で使うなら人は一般常識では、人々は【焙煎ダンパー⠀】と呼ぶだろう。
実際は誰も呼んでいない。
■しかも、それは世界中で日本だけの珍操作である。「何故かは、私は理解している」し、講座でも「書けないこと」を教授させていただいている。
しかし、もう得意になって「排気ダンパー」云々言ってる人で
何故、それで焙煎中の豆の風味が変化する理論のかは、誰一人、一切説明出来ない。もう「XXXX沙汰」である。
■ 世の中にアホなりの反論がある。「毎回同じ操作して、結果が良ければいいのではないか?」
詭弁でしょ,それ? それが味の基準になってる合理的な解釈は?
それがあるゆる場面で通用するのかが大事な事。
それを「焙煎方法」と呼べるものです。
申し訳ございませんが、理論がない実証出来ないものを、そもそも技術と呼ぶことはない。理論があればどんな状況でも対応できる。
それがどう立証出来るのか?
ご立派に「排気ダンパー」を弄ってる人に限って(焙煎は微妙だ毎日気候で変わる。 )という自慢は、素直に「毎日違う」なんて矛盾でしかない。
■理論の裏付けがない馬鹿とは会話が成立しない。言語がないのと同じだ。
ここに、私達の1つの完成された方法がある。
それが出来てから私に反論したら?
なかなか書いてることも理解出来ないだろうが、【書けない】のは当事者との約束事でもある。
■では次回、何故 「排気ダンパー」があるのか?、説明しましょうか。(笑)