あなたがプロ野球の選手で打席が回ってきた時に監督から「適当にやれ」といわれれば当然「状況を見て最善策を選び、ヒットをとれ」という意味である。
「何も考えずに3回振ってこい」ではない。
この世は不確定要素が多過ぎます、何かを決めても状況は刻々と変わってゆく、考える我々も常にブレていたり経験値がないと判断が出来ないことが多い。ブレる要素は一つではないからマニュアルでは対応出来ない。
「適当」に対処するとは可能な限りベストを尽くし対処することである。
そのフットワークは軽さと、武器がだれだけるかだ。
「旅」もまた不確定要素との戦いだ。海外では乗ろうと思った列車が来ないことは普通である。つまり適当とは自分が持つ対処の幅である。
先年、イタリア研修旅では、夜7時にローマテルミニ駅で若い連中と夕食の待ち合わせだったが、電車の掲示板を見て私は5:30の段階でミラノ行きに切符を変更して乗った。6時過ぎに彼等に電話したら彼等も早々に乗っていた。「適当」に判断するということはそういうことだと思う。
7時に駅に来ても誰もいないわけです。誰かの指示を待っていては遅い。
待ってたのに誰も来ないと怒るのは、その人の勝手である。
違う日、彼等はベネチアで帰りの最終直通電車に乗り遅れたようで、私は[good luck]だけ言って電話を切りましたが無事に翌朝顔を見ました。
本当の旅は「スマホ」を失くしてから始まる。(笑)
高層ビルが地震で倒れないのは「適当に揺れている」からである。
そこに高度な計算・科学・技術が詰まっている。
私は適当に生きています。借金もありません。
それは私以外にマネージメントする人がいるからです。
適当というのは私場合、分相応です。
相応=適当ですな・・・
今はただの「珈琲屋風情」(ふぜい)です。珈琲屋なんてのは風情です。
だから「風情」に文句言う奴はいないのです。
「あんた洒落の判らない人だね」で終わりますからね。