【完煎】の話です。
【完煎】はいう言葉は、「焙煎業を生業としている」方にも中々理解できない。古い人は理解しようともしない。それは宗派が違う経典は興味が無いのと同じかもしれませんな。縁無き衆生は度し難し
珈琲豆の度合いを色分けで8段階に分け、やれ「シティー」だの「フルシティー」だ「フレンチロースト」だと言う方には、申し訳ないがこれは判らないこと。
私はお客様に焙煎を色分け8段階で説明することは絶対にない。そんなものには意味がない。
帝王ジャックニクラウスのヘッドスピードが云々、全英オープン時のコース攻略を本を100冊読んで解説出来ても彼と同じレベルになることはない。
【されど「コーヒー」】なんて抜かしてる人ってのはそういう人だ。
たかが「コーヒー」である。どんな高尚な理屈を抜かされても、我々はそれで金儲けしているに過ぎないのである。
素人を煙に巻いて、奥の深い世界だと思わすのは自由だけど・・・それで生業といわれると、ただの卑しい人である。
たかがコーヒーである。それ以下でも以上でもない。
話を戻します。一つの豆で焙煎度合いが違う売り方をしている店は「完煎」が判らず、自信がない証拠かもしれない。(焙煎度合いを客に選択させる、責任は選んだ方と?)
【完煎】は当にピン・ポイントの一瞬である。焙煎は色だけで判断することでもない。
弱火で長い時間かけてじっくり焼き、色を付けずに「極浅煎り」というのも頂けない。それがどうした?と思う。それが焙煎を経験してない人には理解が出来ないのかもしれません。
消費者側と生産者側のどちらから見るかの違い。
お米の生産者は、無農薬は有り得ないと言う。(大きな声では言わないけれど)
消費者は「このお米無農薬だからいい」というけれど、生産者が見れば明らかに違うと判る。減農薬ならわかる・・・・。
「フェアトレード・コーヒー」なんて信じていない。多分フェアーなのは農園主と商社間だけである。申し訳ないが
有機栽培コーヒーも、売り手の認証も本来は必要なのだ。どこからか得体の入れぬ有機栽培コーヒーらしいもの仕入れただけで、売れるから間違いが起こる。
わざと間違える人も出てくるだろう。それが人の世である。
それがおもしろい。