昔から言われている言葉ですね。詳しくはWikiで・・。
商家に生まれると、親は忙しく時間がありません。
そこで余裕のある祖父母に育てられる環境では、すくすくと育ちます。
こういう人達は「粋人」ですから、子供を寿司屋のカウンターに座らせることはありません。出前で「うどん」を取ってもらいます。昔は店の人達も余裕がある時代でした。
歌舞伎から骨董屋、料理屋へ、コーヒー屋・・
残念ながら、私の曽祖父は私が生まれた頃は放蕩の末期でした。祖父母は一代で築いて終わり(笑) 両親は小商人、私はその日暮らしのひねくれ者となり、没落の一途を辿って美食にありつくことはありません。
20歳過ぎても、寿司屋では主に「うどんでええな」と言われてました。
「粋」というものは、主体は痩せ我慢ですので、少しだけ真似が出来るようになりました。が若い頃、商家の旦那に世話になっ分を次に渡すことが出来るようになりたいですね。なかなかなあ・・。
食は三代・・というわけで私には引き継がれておりません。
高度経済成長で忙しい時代と重なりました。
今や祖父母の年代の人達が孫と回転寿司で終わってます。自家製麺のうどんとか、で食い散らかして・・(笑)ここに物語りはない。
腐れ金玉だけだ。
食は三代・は壮大なストーリーなのです。それは不二家パーラーから始まり芸者さんの膝枕で終わる。
そこには「日本酒ソムリエ」なんてものは無用で、第一口を開けば「吟醸香のフルーティな香り」なんて要らない・・
食は三代とは、そんな薄っぺらなものではないと思う。
私が見てきたものは、やはりその人自身の「写し」だと思います。
確かにベースにあるのは金銭もあるかもしれません。が
「心根」の部分で見習うことは、そういう旦那さん達はありました。
「食べログ」なんて頼ったことはないし、並んだこともない。これが普通で、やってる連中が異常と思う、私は私の価値感で判断している。
男がいい年して割り勘で酒を飲むなら、そんな席には絶対に行かない。19・20歳なら判る。まあ呼ばれもしないが(笑)
その時に儲けてる奴が払えば良い。そういう人になりたいと思うべきだ。
ただ酒飲めたと思う奴は乞食である。
だから私は、一生、同窓会に行くことはない。そんな連中と飲むくらいなら、一人で飲んだ方がいい。
地元で絶対に飲まないのは別の理由。
行きたくない理由 ≧ 行きたい理由。
まあ、なんだかんだと言いながら死んでゆくのですが
昨日、バイク(750)一台、登録抹消しました。
残るは250cc一台レストアして終わりですが
電動車庫も壊れました。もう踏んだり蹴ったりです。
食は三代・・
このハードルは相当高いです。
「食べログ」書いてグルメだと自惚れてる馬鹿が多い時代です。
初めて行った店で、メニューにない物が出てくるのは「以心伝心」です。
やはり
「心」だと思います。 タッチパネルでは無理ですよ。
まあ、そうだね50過ぎたらイオン(映画は別)には行かない。などの自分だけの規則は多く要ります。
まあ、若いのに「ハリオのV60」を使ってるようじゃ、もう相当暗いや。