日々の生活の中で災いは多くの場合、重なるものである、常々、私は人に言ってはいるが、今は自分にその番が来ている。(笑)
まぁ、多少長く生きているとそんなことは何度も何度もあり、だんだん耐性ができてきて動じなくなる。
①引越しの最中に・・・
②今日は母親の緊急の心臓の手術である、名古屋市の日赤病院に朝から来ている。
③二日前に発生した店舗の水の事故で
完全にその店舗は使用不可能となっている。入店不可能に近い。
④別件の、納品した機器のトラブルも重なっている。
だから、どうしたってことでもない。
こんなことは、日々起きることである、
そして裏返って考えてみれば
①”医療が充実したこの国で暮らしてることを感謝することも出来る。
②”或いは商売の転換期を啓示さてている。
③”そして対応力を身につけるチャンスでもある。
④”それに今日は病院でゆっくり読書も出来る。
この大きな中村区の日赤病院は多くの絵画作品が飾ってあるので全館を美術館と思い巡れば楽しい。レストランもカフェもある。
今日の発見は、画家山本博男さん 名古屋の方のようです。良い場所にはこの方の絵が展示されてます。
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要は人生なんてものは、心ひとつの置き所の問題である。
泣いても笑っても「あっ」という間で終わる。
「それでも泣けてくることありませんか?」と問われれば
まあ、それの連続です。ただ泣かないだけ。
人生、生まれてから、ずっと「苦しみ」の中にいる人もまた多い。
「小児ガン」とか、難病とかね・・人それぞれに苦しみはある。
それにしても現代医学の進歩を医師から説明されると驚愕してしまう。太腿から管を挿入して心臓の内部で大きな人工の弁を取り付けてしまうのだ。日々そういう仕事に従事する人々には自然と尊敬する。
こういう背筋が真っ直ぐな人に会えば、こちらもピンとする気がしますね。
人生の価値、意味って何だ?と考える。
先日から、各待合室に佇ずんでいると
毎回どこかの「あ婆さん」から声を掛けられてお話をする。男前はつらい。
婆さんというのがツラい。(笑)
【佇む】
まあ、これの問題です。