チリの落盤事故、無事全員生還できてホント良かった
地中700メートルで数カ月…閉所恐怖症の私には考えられないや
一方で昨日、岐阜で解体工事中の塀が倒れて女子高生が亡くなった。
おそらく彼女にとってはいつも通る道だったろうし、自分に何が起こったのかも分からなかったのではないだろうか。
ご家族も朝「いってらっしゃ~い」と送りだしたのに、その娘の元気な姿を二度と見られなくなるなんて、もちろん思ってもなかっただろう。
その心中は察するに余りある
人生ってわからないな~。
評論家の堀秀彦氏が82歳のときに「私が毎年毎年死に近づいていくのではない。死が私に近づいてくるのだ。私が死ぬのではない。死がある日やって来て、私を殺すのだ」と書いている。
それから江戸時代の仙がい和尚(生涯の「涯」のさんずいがない字なんだけど、変換できなかった)という人が、「年には勝てん」と弱気になった人に「人間はみんな生きている間は同い年ばい」と言ったとか。
この言葉が載っていた新聞記事には「年の順に死ぬわけじゃないのだから、そこまで達観すべき」とあった。
たしかに「死」は年の順じゃないから、生きてる間はみんな同い年なわけだ。
この間の健康診断で異常なしだった私も突然の病や事故でいつ死ぬかわからない
九死に一生を得た人や不慮の事故で突然亡くなった方の話を聞くと、時々こういうこと考えちゃうんだよね。
でも私には煩悩がありすぎで達観はできないな~。
何かの番組でさんまさんが「死ぬときにどれだけ後悔しないか、だと思う。途中でいろいろあってもや、な」と言ってたけど、後悔だらけです
全力で生きているように見えるさんまさんと違い、相変わらずだらだら過ごすカフェオレ、とりあえず今日も元気に生きてます
快食…
快眠…
快便…
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