ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

映画 アメージング・グレイス

2011年04月14日 | 信仰

 明日で上映が終わりそうなので、今日Amazing2_2
 有名な賛美曲だが、元奴隷船船長にして罪を悔い改め、牧師になったジョン・ニュートン(John Newton/1725-1807)の作詞曲が絶えず流れていた。

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
Amezing1

 2行目のwretchとは「見下げ果てた奴」という深い悔い改めである。特に4行目の「見えなかったが、今は見える」という言葉が映画では何度も強調されていた。ジョン・ニュートンによって魂から語られる時、「ゾクゾク」と来るような、非常な霊的な迫りがあって、胸にググッと来て、そして涙があふれた。

 予告編では、この牧師役が「まるで飲んだくれのようで嫌だわ」という言葉を耳に挟んだ。しかし実際観てみると、粗末な荒布は罪の悔い改めのためであり、心から悔い改めて、罪を償い続けようとする生き様を表すのにピッタリなものだった。このように実際に観るとまるで反対だった。そう言えばこの奴隷貿易禁止法案の成立の立役者、国会議員の「ウィルバーフォース」も自分で見なければ信じないタイプだったようだ。


 いかに非人間的なことでも、現実にあると人は驚くほど鈍感に成り下がり、荷担してしまう。教室でのいじめは最たる例だ。それをストップするとは、いじめの対象を引き受けるほどの、十字架的な心が要ることだ。何一つ利益を得るどころか、かえって犠牲をいとわない。自己満足ではないか?という自己のサタン的な惑わしにも耐えねばならない。ただウィルバーフォースは、「神の前に人は平等(イコール)だ」という信仰を生涯を貫いた。強いからではない、弱いからこそ神に従い、神が為された業なのだ。

 たしかにイギリスは、この件については誇ってもよい。信仰が引き揚げられるような、すばらしい時間を神様に感謝。 (ケパ)

コメント
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