今日、私たちは信仰を共にする方との親しい時を過ごした。その中でとても気になる話があった。それは会話の中で出てきた言葉であるが、「夫婦って、互いにあまり干渉し合わない方がうまくいく」「所詮夫婦は他人同士。幻想を持たない方が良い」云々・・・・。聞いていて、過去の我が身を振りかえさせられた。
誰でも最初から相手に失望していたわけではない。だから人生をこの人と共に、と賭けて結婚したのだ。しかし子どもが与えられたり、互いの価値観に埋めがたい溝があることがわかったりして、いつしか乗り越えられない困難さを感じ続けた挙げ句、離婚という決着を避けて上述のような距離を置く夫婦に落ち着いてしまったのが正解だろう。
わたしもかつてはそんな夫婦をしていた。「わたしを理解してくれない」と言うので、近づこうとすると「今更なによ」と突っぱねられ、距離を置いていると「もうわたしたちはダメ」とまた言われる。その内には家庭内別居のようになり、とどのつまりわたしを一人残して家族は遠くへ引っ越ししてしまった。マイホームは人手に渡り、わたしはひとりぼっちになってしまった。今思い出すのもつらい毎日だった。
しばらくして、妻を天に送り、後に神が与えてくださったドルカスと再婚した。ケパとドルカスはいつも一緒に行動する。毎朝、一緒に祈っている。同じ価値観を持っている。夫婦で行けるところは、必ず夫婦で行く。四つの目で景色を見る訳だ。そうすることで認識にズレが生じないでいる。経験を共用しているので、普段の会話に想像力はいらない。今私たちは、一つの体のようにして歩めている。これはすごい祝福だ。先の結婚がなければ、これも分からなかった。全ては益に変えられた。
夫婦は一つの体です。だれもこれを離してはなりません。まして、自分たちで離してはなりません。 (ケパ)