イエス・キリストが翌日は十字架にかかって死ぬという、その夜。キリストはゲッセマネの園というオリーブの木が植えられた園に行って、夜を徹して祈られた。わたしも何度かオリーブ山のふもとに在るゲッセマネの園を訪問した。現在はカトリックの「万国民の教会」の(向かって左)隣接敷地となっている。
ゲッセマネとはオリーブ絞り(機)という意味で、キリストの時代にはオリーブ畑であるとともに、ここに油絞り機があったことは確実である。偶然はないから、キリストはこの園(ゲッセマネ)で、オリーブが油をその最後の一滴まで絞られるように、まさに涙を流して祈られたはずである。
聖画の中にはキリストが跪きながらも静かな面持ちで顔を上げて、月かなんかの光を浴びながら毅然と祈ってらっしゃるように描かれているのがほとんどだが、それは全然違うようだ。聖書通り、文字通り読むなら、伏して体をふるわせながら、涙の最後の一滴が出尽くすまで、祈りに祈りきられたようだ。そして絞りかすのようになった、ぼろぼろの体で十字架への道を歩まれたようだ。
・・・・ゲッセマネの祈りは、自分を創造主に生きたまま捧げようとする時の祈りです。私たちは口では「主に捧げる」と言うこともあるのですが、実際には創造主を通して自分の思いを成し遂げようとすることが多いのです。自分の思い10%で神への思い90%と言いながら、実際には自分の思い90%で、神への思い10%になっていることがなんと多いことでしょう。・・・・(以上は「聖書の世界が見える」リュ・モーセ著から抜粋引用)
ゲッセマネの祈りは、確かに100%自分を捧げようとする切なる祈りそのものなのだ。 (ケパ)