今回は特に駆け足の長崎の旅だったが、それでも大いに見識を得たことがある。
周知の事実だが、日本が鎖国という太平の眠りから覚めた時、取り巻く情勢はまさに絶望的な状況であった。欧米の列強に対し、アジア・アフリカはみな屈辱的な植民地化が進んでいた。これに対し、ただ日本だけが短期間の内に急速に近代化に成功し、欧米以外で初の列強となることができたことの訳を、少し知った。
第1に維新で活躍した人物が、下級武士上がりで無私の第一級の人物たちであったこと。これは大きい。幕末の時代に伊藤博文、井上馨、森有礼などは英国留学を果たしている。国法を犯してまで彼らを支援した人物がいる。今回その邸宅に行って、彼ら勤王の若き志士たちをかくまうため天井裏に秘密部屋まで作られていたことを確認した。ここまでして日本に入れ込んだ人物は誰か?トーマス・ブレーク・グラバーである(写真は三菱の岩崎弥之助と)。
グラバーの業績は、日本で初づくしである。生糸や茶の輸出、倒幕派支援のための武器・弾薬、船を修理するドック、新橋を走る前の陸蒸気、高島炭鉱開発経営、貨幣鋳造設備一式、キリンビール会社など・・・・。一人の人間がここまでできるか?とうなるほどだが、さらにひと味ちがったのは、事業を立ち上げるだけでなく、その後日本人が自主的に運営できるよう、技術を学ばせ人材を留学させて育成したことである。グラバー邸のある壁にはグラバーが生涯をふりかえって、自分をほめている一文があった。曰く「自分は、一切賄賂を取らなかった。取引はすべて武士道で行ったことである。」彼は三菱の祖である岩崎父子と交流をし続け、最後はその顧問となった。
日本人妻を終生愛し、日本でその生涯を終えた。日本国はこれに対し、外国人として破格の勲二等旭日重光章を授与した。もしグラバーのような、日本のために尽くしてくれる人物がなかりせば・・・・。明治の成功の土台は幕末にある。そしてこの時期、長崎に国造りのポイントがあったのである。 (ケパ)