ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

無関心がゆるされない分野がある

2015年08月28日 | 
ドルカスのよくよく知り合っている人が、とある教育問題で国会に出入りすることとなった。何度目かの国会訪問で、よくよく疑問に思ったので随行の社長に聞いたそうだ。「共産党ってどういう傾向のある党なんですか?」と。社長曰く「よくそれで国立大学に行けたね」と笑われたそうな。

う~ん、私がその社長なら、「・・・・」返す言葉がなかったかなと。断っておくが、その人を野山に連れて行けば、自然音痴の私から見れば、まさに超人のごとく羽ばたく人だ。しかしそれにしても共産党を知らないなんて、まさか一度も投票所に行った事がないわけではあるまい。関心の分野が違えばこんなものだろうと思わされた。

私は政治のことについては、小学生の時からケンケンガクガク、父と議論していた。家庭が小さな町の行政の特別職の家だったという面もあった。高校生になると、前代未聞、校門に大きな立て看板を作って立てても、学校側は黙認するほかなかった。だから草木の名前はほとんど知らなくても、本で知る歴史と地理には特化して興味を持っていたわけで、すごくかたよった少年であった。むしろ「共産党って?」と知らない方が健全に思えるのは、私がすでに老人の域に近づいているせいか?

しかし、である。この世に生を受けた限り、絶対に無関心であってはならない事がある。それは人はみな必ず死ぬ事であり、それなら「何のために命が与えられたのか?」という事である。
おもしろおかしく、愉快に過ごして往生すればよい、とか、考えても不明なことは考えるだけ無駄とする方が多すぎる。
そうではない。人には霊魂があり、これは肉体が終わっても不滅である。この魂の行き先こそ、今ある命が尽きるまでに絶対に天国に行けるよう、唯一の道、十字架を信じ救われておくべきだ。
世界にはいろいろな宗教があるが、ただキリスト教だけが五大陸を覆う世界最大のものであり、平等・人権・博愛など人類が共有する文明を創出して来た。それだけの内包した真理がキリスト教にあることは、何人にも無視が出来ないはずだ。まず異端ではなく、ちゃんとした三位一体の神を信じるキリスト教会の門を叩いてほしい。 ケパ
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