ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

学び続ける

2016年01月04日 | 感謝
よく、「稼ぐに追いつく貧乏なし」と言う。分野は異なるが、これは「学ぶに追いつくボケはなし」の話になるだろう。

五十代前半で副牧師、半ばで牧師に召された。しかし二十代の前半からずっと「いつの日にか」と思わさせられていたことだった。しかしなるのが「遅かった」という気はさらさらない。この仕事は神に召されて初めて立てるもので、自分が志してなってはいけない。そして召され、立たされて初めてわかるのだが、何一つこれまでの人生で歩んできた道に、無駄になるものがないこと、つまり神様が完璧に必要な経験や力を、一つ一つ付けさせながら導いてこられたことがわかる。

例えば牧師という仕事。もし世の職業で、牧師に最も近い仕事があるとすれぼ、小学校の教師だろう。ただ教えるということ以上に、児童の各家庭、そのプライベートに深く関わる仕事であった。また仕事上、障害について学び、重い心の病を発症した家族を得た。神様は召すにあたって、完璧な準備をされるものだとわかる。

ところで牧師になってから始める学びもある。例えばピアノや英語である。奏楽者がいないので、しかたなく始めたら、何と今ではレッスンを受けるほどにハマっているのがピアノ。十本の指を動かす訓練は、頭がショートしそうなぐらいに大変なのだが、逆に自分が奏でる快感も同時にある。また英語聖書を読むのにも、かつて修士で苦労した経験が大いに役立っている。今は聖書の専門用語を覚えるのがワクワクである。パソコンについても、三十年前のMS-DOS時代からやっていたのが役立っている。本当に、何一つ無駄な人生がない! これはすごい!

神様の用意周到な計画は、本当に驚くほどである。逆に、今の召された仕事にも、神の特別強いがあることを感謝する。 ケパ



コメント
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