部屋の隅にあるバラの一輪挿し。それをふと見ていて、ありありと思い出すことがあった。
私が三十代だったから、ふた昔ぐらい前のこと。信仰上の兄として尊敬し、慕ってもいた教会の先輩・・・牧師を支える重責を担っていた・・・が、私にふとこんな事を呟いていた。彼は美術を志し、生業は看板屋を営んでいた。
その時、西の空に美しい茜色の夕焼けが輝いていた。「ああ、この空と花の色だけは、絵にできんよのォ」「花、ですか?」「そう、花は生きている。特にバラの色は出せない色があり、難しい」「そうですかァ」「神の創られたこの素晴らしい世界は、絵ではとても限界があるんだ」

写真で少しお分かりだろうか? この色を絵にするのは確かに難しいことだろうと、私はこの話を思い出したのだ。兄弟はその後、持病の糖尿から、実に呆気なく大学生と高校生の子ども二人を残して天に帰って行った。後に残された私は、教会では兄弟の後釜に座らされ、その苦労を偲ぶことになる。(この夕景は船橋の街路で撮影)

最近進化論を否定し、創造論をアピールするyoutubeを観た。出演した心臓外科医が語っていることは、専門家として心臓の精緻なシステムを知れば知るほど、偶然とか進化とかでできるようなレベルのものではない」と語っていた。科学的で、説得力もあってすごく共感した。(その心臓外科医の話ですがリンクできてません)
http://www.harvesttime.tv/message-station/tv-programs/creationism-vs-evolution/view/29430980
画業のプロ、医学のプロもみな、神の偉大さを語る証人であった。では元教師は? (現)牧師は? それがちょうど今、マタイの23章でイエス様が「わざわいだ、教師や、パリサイ人」と激しく警告なさっているのである。偶然は無いのだから、これは大変と改めて悔い改め、御心に聞き従い、謙遜な心を求める祈りを熱心にしている。 ケパ
私が三十代だったから、ふた昔ぐらい前のこと。信仰上の兄として尊敬し、慕ってもいた教会の先輩・・・牧師を支える重責を担っていた・・・が、私にふとこんな事を呟いていた。彼は美術を志し、生業は看板屋を営んでいた。
その時、西の空に美しい茜色の夕焼けが輝いていた。「ああ、この空と花の色だけは、絵にできんよのォ」「花、ですか?」「そう、花は生きている。特にバラの色は出せない色があり、難しい」「そうですかァ」「神の創られたこの素晴らしい世界は、絵ではとても限界があるんだ」

写真で少しお分かりだろうか? この色を絵にするのは確かに難しいことだろうと、私はこの話を思い出したのだ。兄弟はその後、持病の糖尿から、実に呆気なく大学生と高校生の子ども二人を残して天に帰って行った。後に残された私は、教会では兄弟の後釜に座らされ、その苦労を偲ぶことになる。(この夕景は船橋の街路で撮影)

最近進化論を否定し、創造論をアピールするyoutubeを観た。出演した心臓外科医が語っていることは、専門家として心臓の精緻なシステムを知れば知るほど、偶然とか進化とかでできるようなレベルのものではない」と語っていた。科学的で、説得力もあってすごく共感した。(その心臓外科医の話ですがリンクできてません)
http://www.harvesttime.tv/message-station/tv-programs/creationism-vs-evolution/view/29430980
画業のプロ、医学のプロもみな、神の偉大さを語る証人であった。では元教師は? (現)牧師は? それがちょうど今、マタイの23章でイエス様が「わざわいだ、教師や、パリサイ人」と激しく警告なさっているのである。偶然は無いのだから、これは大変と改めて悔い改め、御心に聞き従い、謙遜な心を求める祈りを熱心にしている。 ケパ