ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

イスラエルに行こう!

2016年09月21日 | 派遣
今年もイスラエル派遣の日が近づいてきた。今回で私は11回目となる。こんなに行けることは感謝だし、実はもっともっと行きたいと願っている。(写真は明け方、スコーピオン山方面からオリーブ山を望む)

しかし今から十数年前には、イスラエルに行くことは私の悲願だった。現役の正規雇用の者が、2週間も休みを取って行けることは甚だ困難だった。休みが可能な非正規雇用であれば、逆に経済に困っていたかもしれない。

だから現役の時代に一度だけ、限定された期間だったが職場の許可が出た際に、何とか見つけたツアーでイスラエルに降り立った、その感激は忘れることができない。空港に着陸した時、ベングリオン空港内のあの長いスロープを歩く時、万感の思いで涙が出そうになった。(写真は山上の垂訓教会)

昔のクリスチャンは、この聖地には長い月日をかけて船で、歩いて命がけで来たし、財産も使い果たしての決死の思いだったようだ。もう二度と来れないと思うからだろう、例えば聖墳墓教会などでは、一度そこに入ったら最後、門衛に引きづり出されるまで粘ったという逸話が多い。
私もその時ですでに三十年以上のクリスチャンだったが、まるでマイホームに帰ってきたような、そんな不思議なよろこびと懐かしさが、行く先々、巡る所すべてでした。ただ施設の多くは、カトリックのフランシスコ会、正教会のものだったので、注意深く聖書的にあやしいものや偶像には、近寄らないように、受け入れないようにした。しかしまあ、それはほとんど一瞬で分かってしまうものだったのだが。

聖地巡礼という言葉がある。実際にイエス様の歩かれた道、見られた風景が、二千年経った今でもきちんと見ることができるのは、「神による守りがあった」からだとその時私は感じた。「ベン・ハー」の作者は、聖書が偽りであることを証明しようとしてこの地に来て、調べていくうちに、逆に聖書が真実であることが分かって、あの映画を作ったという。確かに聖書の舞台、聖地には聖書が真実であって、信仰が引き上げられる力を感じることができる。(写真は流用したもので、嘆きの壁の前での超保守派の様子ーイスラエルはユダヤ教徒の国)

一般にイスラエルは危険だと言われている。とんでもない誤りである。確かに入国審査は厳重であるが、それだけに一旦入国さえして仕舞えば、安全と治安が高いレベルで保たれている。またここは中東に位置していても、街はヨーロッパのどこかみたいである。清潔で水や食べ物は周辺の国とはまったく別次元である。

クリスチャンなら、数回は来て欲しい国である。そして神さまとの感動をお約束できる所でもある。68年前、聖書の預言通り、神は世界中からユダヤ人を集め、アラブ人の大海の中から、奇跡(第一次中東戦争)を通して再びイスラエル国家を再建された。現状、不可能だと思われても、是非イスラエルに行けるよう祈られることをお勧めしたい。私も祈ったら現役にもかかわらず、こうして行けたのだから。
ケパ



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