今回は少しだけ、パレスチナ問題をとりあげてみたい。
去年、シロに行った時、周囲を見まわしながら「この土地は誰のもの?」と思ったものである。ツアーバスの中でも、つい、そのように問うてしまったが返事はなかった。
私たちが目的地とするシロは、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府のへそのような所にあって、かつ、そこからは世界中の耳目を集め、何かと批判の多いイスラエル入植地のいくつかがここから見えるからだ。(写真 : シロの遺跡の周りはいくつかのユダヤ入植地とアラブの町が点在している。次のはシロの遺跡マップ)
パレスチナ自治政府(ファタハ)から言わせれば、ユダヤ人が自分たちの土地にどんどん入って土地を奪ってくるので、「世界よ、止めてくれ!」なのだが、はたしてその通りなのだろうか?
上図を観る限り、イスラエルの居留地(▲)は、自治政府の土地を犯しているものはない。だから結論から言えば、ファタハのアピールはサッカーゴールを自分の方へ動かすようなものだ。
このパレスチナ自治政府内にもイスラエルの土地があり、警察権があるのは、第三次中東戦争以後、ヨルダン川西岸地方をめぐってファタハとイスラエルの和平合意に基づくものなのだ。
しかしアラブ的には取り決めたゴール(和平合意)は動かせると読んでいたようだ。もともとはすべて俺たちのもの、という意識があるのだろうし、交渉で決まったものは交渉でまた変えられるというアラブ的な契約の概念があったかも知れない。
しけしこれが契約に厳密なユダヤ人に通じるはずがない。正式な取り決めは取り決めである。国連や世界はこの取り決めを知らないか、または判官びいきのせいなのか、パレスチナ自治政府側を応援しているのが実際だ。
さて、「この土地は誰のもの?」に戻るが、歴史上明らかな先住民で、イスラエルに征服されたカナン人たちはもういない。だから彼らは主張しない。せっかくパレスチナと名が残る、ペリシテ人もそうである。
だからこの地は、二千年前の住民で帰ってきたユダヤ人と、七十年前の住民であったアラブ人の、いったいどちっちのもの?ということになる。(手前はユダヤ人の嘆きの壁、その壁の上が本来イスラエル人の神殿が建っていた神殿の丘であり、今そこにはイスラム教の黄金ドームやアラブ人のモスクが存在する。エルサレムを手中に収めながらも、この丘に自分たちの神殿を再建できないイスラエルの嘆きが続く)
一年してこれは愚問だったと私は気づいた。この土地に限定して考えるからおかしくなるのだ。土地は、というよりは全世界は誰のものか? と考えるとわかる。それは神のものなのだ。そして神が地上で唯一、土地を特定の人物とその正当な子孫に与えると約束したのがこの地なのである。この地は最初カナンと呼ばれ、次にはパレスチナと呼ばれているが、エジプト川からユーフラテス川に至る地、現イスラエルの地なのだ。
その人物とはアブラハムであり、その子イサク、孫のヤコブとその子孫に与えたのだ。だからここ、この地だけに限っては、聖書の神が定めた意味で、イスラエルのものである。(イスラエルの家庭料理は、豆料理が中心)
ちなみにアラブ人は、自分たちはアブラハムが奴隷の女ハガルに生ませた長子、イシマエルの子孫だと主張している。だからこれは四千年前の奴隷女ハガルの長子と、90歳にして正妻サラに生まれたイサクとの相続争いだとも言える。二千年前の日本には文字もなく、歴史は存在しないが、これはその倍も古い確かな史実の話なのだ。神は生きておられ、驚くべき世界なのだ。
ケパ
去年、シロに行った時、周囲を見まわしながら「この土地は誰のもの?」と思ったものである。ツアーバスの中でも、つい、そのように問うてしまったが返事はなかった。
私たちが目的地とするシロは、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府のへそのような所にあって、かつ、そこからは世界中の耳目を集め、何かと批判の多いイスラエル入植地のいくつかがここから見えるからだ。(写真 : シロの遺跡の周りはいくつかのユダヤ入植地とアラブの町が点在している。次のはシロの遺跡マップ)
パレスチナ自治政府(ファタハ)から言わせれば、ユダヤ人が自分たちの土地にどんどん入って土地を奪ってくるので、「世界よ、止めてくれ!」なのだが、はたしてその通りなのだろうか?
上図を観る限り、イスラエルの居留地(▲)は、自治政府の土地を犯しているものはない。だから結論から言えば、ファタハのアピールはサッカーゴールを自分の方へ動かすようなものだ。
このパレスチナ自治政府内にもイスラエルの土地があり、警察権があるのは、第三次中東戦争以後、ヨルダン川西岸地方をめぐってファタハとイスラエルの和平合意に基づくものなのだ。
しかしアラブ的には取り決めたゴール(和平合意)は動かせると読んでいたようだ。もともとはすべて俺たちのもの、という意識があるのだろうし、交渉で決まったものは交渉でまた変えられるというアラブ的な契約の概念があったかも知れない。
しけしこれが契約に厳密なユダヤ人に通じるはずがない。正式な取り決めは取り決めである。国連や世界はこの取り決めを知らないか、または判官びいきのせいなのか、パレスチナ自治政府側を応援しているのが実際だ。
さて、「この土地は誰のもの?」に戻るが、歴史上明らかな先住民で、イスラエルに征服されたカナン人たちはもういない。だから彼らは主張しない。せっかくパレスチナと名が残る、ペリシテ人もそうである。
だからこの地は、二千年前の住民で帰ってきたユダヤ人と、七十年前の住民であったアラブ人の、いったいどちっちのもの?ということになる。(手前はユダヤ人の嘆きの壁、その壁の上が本来イスラエル人の神殿が建っていた神殿の丘であり、今そこにはイスラム教の黄金ドームやアラブ人のモスクが存在する。エルサレムを手中に収めながらも、この丘に自分たちの神殿を再建できないイスラエルの嘆きが続く)
一年してこれは愚問だったと私は気づいた。この土地に限定して考えるからおかしくなるのだ。土地は、というよりは全世界は誰のものか? と考えるとわかる。それは神のものなのだ。そして神が地上で唯一、土地を特定の人物とその正当な子孫に与えると約束したのがこの地なのである。この地は最初カナンと呼ばれ、次にはパレスチナと呼ばれているが、エジプト川からユーフラテス川に至る地、現イスラエルの地なのだ。
その人物とはアブラハムであり、その子イサク、孫のヤコブとその子孫に与えたのだ。だからここ、この地だけに限っては、聖書の神が定めた意味で、イスラエルのものである。(イスラエルの家庭料理は、豆料理が中心)
ちなみにアラブ人は、自分たちはアブラハムが奴隷の女ハガルに生ませた長子、イシマエルの子孫だと主張している。だからこれは四千年前の奴隷女ハガルの長子と、90歳にして正妻サラに生まれたイサクとの相続争いだとも言える。二千年前の日本には文字もなく、歴史は存在しないが、これはその倍も古い確かな史実の話なのだ。神は生きておられ、驚くべき世界なのだ。
ケパ