ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

試練の時に真価が明らかにされる

2018年10月08日 | 信仰
横浜の縁者宅を訪問した時に、先の台風25号で庭の少し先に立っていた巨木が倒壊し、空が広くなった話を聞いた。行ってみると、ざっと15から20メートルぐらいの高さがあっただろうか。「こんな大きな木が・・・」とかなり驚いた。幸い道なりに少しズレて倒れたので、被害が無かったのが幸いだ。

木の根本を見ると、周りの樹木も同じく強風であおられただろうに、なぜこの木だけが倒れたのかがわかった。巨木の割に驚くほど根が浅かったのだ。だから風に耐えることができなかったのだ。

台風が来ても、足がない植物はただひたすら耐えることしか出来ない。試練である。その危機的な中で 、生き残れるかどうかは、サイズや立派さではなく、見えない所である土の中、いかに根を深くしっかりと根が張れているかどうかなのだろう。

信仰も似たところがある。
"キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。"(コロサイ人への手紙 2章7節)
この「キリストのうちに根ざし」が弱いと、倒れた巨木のようになる。そしてその被害は非常におおきいものとなる。

例えば牧師とか指導者が神の召命も無く、人から薦められたり、あるいは自分で決心して立った場合がそうである。それは根が深くない。神の堅い土台ではないからである。

私たちの秋元牧師の話に、献身を祈ったら会社員になれと言われ、大ショックだったが従った。ところが命も危うい病に落とされ(会社員だったので治療費はただに近い恵みはオマケ)、徹底的に弱さを知らされた時に召命があったと言う話(正確ではないが)がある。
私も献身に、神からの召命が要るなんて知らなかった。しかし聖霊のバプテスマ以後、そのことを神から教えられた経験がある。

そのことは試練の時に、すべては明らかになる。神の召命なしに指導者に導かれた方は、遅くはない。ぜひ今からでも祈り求められますように。



ケパ






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