ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

これがお気に入り

2011年08月22日 | ネコのコールと‥‥

 またまたコールの話題で、何ですが、いま、コールのお気に入りのおもちゃがあります。Cat12
じつは、あまりにもリアルに出来ている猫用のおもちゃに、思わず「これはコールが喜ぶ」と、つい298円の支出してしまった。

 案の定その喜びかたは、まさに本物を狩りしている感覚なのです。
私がそばを通ると,この
獲物はわたさないぞ。取られないぞと、うなり声まで・・・コールはまだ本物を知らないはずなのに、 すっかり野生本能が現れた感じなのです。本物の毛皮でつくられたおもちゃ。

それはCat13 何だったか、写真でわかりますか

さんざん遊んだあげく満足して、もうどうにでもしてと言わんばかりに、安心して寝入ってしまいました。

このおもちゃがいつまで原形を留めていたのかは・・・ご想像下さいな。(ドルカス)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

癒やされました

2011年08月21日 | 信仰

 実は書くべきか、それとも書かざるべきか、数日祈ってきた。でも確かに事実がはっきりしてきたから、書くことにする。

 29(二重苦)の事後報告だ。この前、苦しい余り、つい「癒やされる!」と宣言してしまった。仕方なく告白するが、なかなか公約通り感謝踊りをしなかったのは、「マズイ」という感じもあって・・・・気が進まなかったからだ。

 しかしドルカスが言っているように、確かに不思議な状態になっている。感謝踊りの前後以来、百日咳のような咳が、全くないわけ
Areopagosではないが、ほとんど無い。それだけではない。四十年近く続いていたアレルギーだ。長いつきあいで、まるで私自身のようになっていたアレルギーの症状は、クシャミ一発、後は滝のように流れ出る鼻水なのだが、これが起こらないのだ。いや、正確に言うと、クシャミ一発はあっても、続いての鼻水が流れないのだ。これはかつて経験の無いことで、正直「これ、癒やされたの?」と戸惑っている。

 自分以外の方々への癒やしの祈ることはこれまでもあったし、その結果の奇跡的(あくまで○○的の範囲だが)な癒やしも何度か体験した。しかし自分自身についてはあまりしなかった。今回のことで、この不信仰を悔い改め、神に栄光を帰すことまでためらってはいけない。神は生きておられ、また力ある方で、こんな罪深い者にも目をとめてくださるのだ。感謝、また感謝。  (写真はギリシャのアレオパゴスの丘で神を黙想するケパ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピースフル

2011年08月20日 | ゴスペル

 毎月2回のゴスペルの練習があるのですが、今月は第1週金曜と、第3週金曜・・・つまり昨日ありました。昨日は素子さんの指導の練習日でしたので、気合いが入ります。
なのに家を出る時から、ガック
と落ち込みました。この時間にこの混み方と思うほど首都高が混んでいて、思わず「主よ・・・この渋滞ですか。感謝します・・・」
 やっと船橋についたと思ったら、もうすぐ近くなのに車が進みません。

船橋駅周辺Kanndenti1は南から北へ車の移動が大回りなのです。思わず私は車から降りて、ダッシュ
しかし素子さんをお待たせしてしまいました。さらには大事なキーボードのACコード
の半分を忘れてしまった私でした。しかし
 あぁ・・・それなのにこのキーボードなんとラッキーなことに、乾電池でも使えたのです。よかったと、ほっとしてケパさんが乾電池を買いに走り、なんと105円で4本×3で練習です。(さすが消耗時間は早い気がする・・・)  いろいろな困難で感謝の日でしたが、いつも楽しいレッスンですから、練習が無事出来て本当に感謝しました。 ドルカス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せな牧師

2011年08月20日 | 感謝

 『少年老い易く学成り難し』は、Gakusha_2 「若い頃から寸暇を惜しんで勉強しなさい」という意味だが、私は何と55歳で牧師になり、訓練を受け、3年半後の59歳寸前で1地方教会の牧師として按手(就任)を受けた。これは少年どころではない、世間では功成り遂げた末に近い年での新米牧師スタートである。これで『学成り』はどうなるのか?と普通は心配になるはずだ。

 ところが本人の自覚は全くないどころか、まるで『少年』のつもりである。これは本人が言うのだから間違いない。55歳であらかじめ語られてた通り、神は私の人生をリセットされた。残念ながら赤ちゃんには戻れなかったが、若者に戻った。本当の人生がスタートした感じだった。それから血湧き肉躍る日々が始まった。Cersio

 奇蹟的ではあったが、周囲のだれも傷つけず、おろそかにもせず、導かれて上京した。東京では何もかもが初めての経験で、とにかくがむしゃらに取り組んだ。不思議に体はこわれなかった。だが人間は弱い。やがて心がこわれそうになった。そのタイミングで、新しく妻が与えられた。妻といると
不思議、18歳の少年に戻った感じがした。


 年は確かに人による。○○歳らしくとか分別ぽく振る舞うと、本当にその年になる。今私はホームページの言語であるタグを1から学んで、教会のHPを作っている。ピアノレッスンを受けながら、賛美と礼拝の歌って伴奏を始めた。全く年を感じない。おまけにテニスのシングルスを年甲斐もなく若い人に挑んで、勝負、また勝負。年からの学(学び)は、体だけに限定です(^0^)。


 でももっとも学べるのは、ドルカスと祈り、いつも一緒に4つの目で世界を見ていること。どうやら牧師は、二人三脚でするのにピッタリな職業らしい。「たった一人しかいない伴侶を愛しきれないで、どうして愛されるのだろうか?」ところが、自分にそんな愛の力など、哀しいほどない。ただ私たちの罪のために死んでくださった十字架上の神が、その愛をくださっているだけだ。それで私たちは幸せだ。先ず、神の愛がある。値なきこの私に。 (ケパ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

39(サンキュー)神様!感謝します

2011年08月18日 | 感謝

 いよいよ大詰めになった、HP制作のためにやや涼しげな信州上田に来ています。
空気が変わった土地に居るのですが・・・・・実はケパさんの咳込みと、くしゃみ鼻水が、おとなしくしているのです。もちろんの中はエアコンを入れて走りました。

(ケパさんは助手席でパソコン広げ今日の準備中なので、今日の私は、定位置の助手席死守していられない状態。)


 昨日の早天の祈りの時のは、くしゃみが出て鼻水対策が必要でしたが、その後一度も対策の必要が無いのです。まだ2日目ですのではっきりしませんが、しかし私は完全に癒やされたと信じて宣言します。 つまりね感謝踊りと祈りは天に届き、聞いていただけたのです。
ハレルヤですから、空気の違う信州に来ているのに、エアコンの効いている部屋で快適にパソコンに向かって学んでいられます。

 恥ずかしいなあ、かっこ悪いなぁなど、自我をかなぐり捨て、神様に祈ったケパさんSoba1の勝利
確かに、がっくんと落ち込んだ時、失敗した時など、TLCCCの教会の皆さんは、祈るのです。踊るのです。時にはトイレの中で・・・時には泣き叫びながら・・・時には声張り上げてです。 しばし誤解もされるかもですが、かまいません。神様に忠実でありたいから

写真は、昼食はいつものように、「草笛」でたっぷりと蕎麦でお腹を満たしました。さらに、夕方まで学びは続きます。(ドルカス)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あべこべの話 etc

2011年08月17日 | 信仰

○マザーテレサがある家を訪問し、その日の食事を事欠くTeresa貧しさに、十分ではないが、持って来た食料を渡した。次の日テレサがその家庭を再び訪ねると、昨日の食料の半分はさらに貧しい隣家に譲ったと言う。本当の貧しさとは、分け合うことのできない人々、つまり私たちの方ではないかと言う気がする。

○長年職業として子どもたちをあずかり育ててきた。そこで経験的に言えることは、豊かな家庭の子どもにしばしば、病める心を感じたことだ。
Cja13
○常に祈り、心から神に仕えているクリスチャンとは、清いからではなく逆に、どんな小さな罪にも敏感になり、ますます罪人として赦されていく神の愛なしには生きれないからだ。

○キリストがもっとも惨めでむごい十字架刑にかかったことは、サタンの勝利かと思われた。しかし息を引き取られた瞬間、サタンの思惑とは逆に、人類の罪を贖うキリストの使命 が成就し、偉大な逆転が起こった。 (ケパ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝踊り

2011年08月16日 | 信仰

 今朝、ケパさんに昨日の約束の「感謝踊りはどうするの?」と、聞くと・・・・忘れた。やってこなかったと、げそっとした顔。あれれ・・・困りましたねえ

昼過ぎ「ねえ感謝踊り」はしないの?と、しつこく食い下がる・・・・

 とうとう夜になってしまった。さあどうするのかなあ。私の 出かけていた時間も出来なかったみたい。神様との約束を、ブログで告白してあるよ
どうするのかな。
と、心配していましたら、突然むくっと起き上がると、「今、踊る場所示されたから、行ってくる」

 やったあ。いってらっしゃーい。あっ、私証人として同行した方が良いかなあ
と思いつつ、追いかけもしなかったのですが・・・30分ほどして、それでもたぶんあの場所。と思い行ってみようかなと玄関へ行くと、「感謝しまーす。ハーレルヤ」と歌いながら帰ってきたのです。
何処で踊ったのと、聞いてみますと、いっしょに行ったら私は隠れてしまったかしらと思う場所でした。公園の中程に遊具として盛り上げた場所が、ちょうどステージに立つようだったので、そこで踊ってきたよ。と・・・・
誰もいなかった?と聞くと、「たぶん見られてたよ。タクシーが止まってたからね。」と平気な顔で、ケパさんは言うのです。

ハレルヤ。そこはなんとタクシーが、いつも昼休みを取ったり、呼び出し待ちの休憩場所だったり、いつも数台は止まっているという道沿いの公園なのです。残念。いっしょに行き、写真係すべきでした。

神様、ケパさんは朝出来なかった約束のことを実行できました。出来たことを感謝します。(ドルカス)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

29(二重苦)

2011年08月15日 | 健康・スポーツ

 大学を卒業して社会人になった途端、私の体にある異変が生じた。会社では仕事の効率を上げるためか、今と違ってクーラーがガCgh03ンガンにきいていた。その真夏に突然、「大くしゃみ」を連発し、大量の鼻水が流れ出ることになった。ホコリともども、私の二大アレルゲン発症の記念日となり、未だに止まない。今夏はそれに百日咳のように咳が止まらない風邪にかかったのでたいへんだ。

 

オール耳鼻咽喉の「くしゃみ・鼻水・咳」の連続波状攻撃にさらされている。それでティッシュの箱を抱えながら、「神様どうか助けてください」と祈る日々となった。しかしなぜか、今日までかなえてもらえない。Photo

 

こうなれば「徹底感謝」しかない。それで明朝、「感謝」し踊ることを決めた。できれば人に見られ、病院に通報される前に踊り終わたい。で、その結果をまたみなさんに報告します。神は生きておられます。あわれみがありますように。 (ケパ)

 パパさんお好きにどうぞ。ぼくはネンネして他人事にゃ。(call)

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターネット礼拝

2011年08月14日 | 感謝

インターネット礼拝
日曜は聖日礼拝の後、教会オフィスでアンテオケ教会の第三礼拝を聞きます。

今日はインターネットの繋ぎが少し時間がかかりましたが、

ギリギリ牧師メッセージに間に合いました。

ところがね。今日はいつもと違うのです。始めはエコーがかかっているようだったのですが、さらにスピーカーを通して聞くと、まるでメッセンジャーが二人いるみたいです。

言い換えたら、同時通訳者が入ってる感じね。 始めは聞きづらいとぼやきました、が、気がついて、感謝対応で祈りました。するとね、とても感謝なことに、楽しくなって聞こえてくるのです。特に知恵知識の言葉の祈りは力強いし、さらにハレルヤ賛美は、牧師お一人なのに、輪唱です。 本当に感謝の対応をすることは素晴らしいです。 これからもこの対応をし続けて行きたい思いました。勿論「感謝の祈り」です。 ハレルヤ ドルカス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高慢とあべこべの話

2011年08月13日 | 信仰

 東京には高級車が多いと聞いていた。確かに駐車場のある家には、高級外車が多いのだ。それで東京では、いろいろな所で高級車に出会う機会がある。その全部ということはCersio_2ないのだが、割合的には、高級車には高慢な運転ぶりが多い、というかそれを体験するの。ドルカスに聞くと、かつてドルカスが「セルシオ」に乗った時は、「どいてよ」とばかりつい、運転が高慢になることもあったそうだ。

 私のごく身近な人でも、出世し上りつめてからというもの、その人間性がずいぶん高慢になっていったのを見た。地位特有の責任の重さと重圧があり、自分の高慢さには気づかなくなるらしい。人ごとではない、自分にもどうしようもない高慢さ、プライドがあった。「悔い改めと神の力である十字架なしには、この手の自尊感情に気づくことも勝利することもできない」というのが私の結論である。

 キリスト教徒をクリスチャンと言うのは、「キリスト狂人」という意味だと教わったことがある。キリストは神の子という、考えられないほどの豊かな存在である方なのに、人間の姿
Crossをとり何と貧しい馬小屋に生まれた。すべての力のない人、病人を愛されいやされ続けた。自分の保身をはからず、むしろ権力や豊かな人の高慢を暴き、死の苦しみをに至るまで貫き通した。内にあっては弟子たちの足を洗うほどへりくだられ、忍耐を持って諭され続けた。栄光の存在が、これではまったくあべこべである。
 ところがクリスチャンもあべこべなのである。大事に守っていた自分のすべてをキリストに明け渡し、委ねた時にはじめて私は、自分自身を捕らえていたもの・・・・高慢さから解放された。生まれ変わることが出来た。大切な自分を神に100%渡して、真の自由を得た・・・・それで十字架のキリストを愛しキリスト狂いになる。他にあげて得るという、あべこべの話であるが、確かに真実なのだ。 (ケパ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする