ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

こころごすぺる

2011年08月12日 | ゴスペル

 今日は高円寺の「座・高円寺」で、ゴスペルコンサートがあった。Kokorogos_2

昨年の夏ゴスペルまで、アンテオケ教会で奉仕者としてコンサートに参加していた。今日のコンサートは、知り合いを誘っての参加。ケパさんのテニス仲間(彼は過去何回か来てくれてるので、各賛美チームの成長をよく知っているのです)

 

そして、船橋ゴスペルクラブの一員(彼女はGiftsの大ファンで、今日はアンコール無かったと、ブーイング

さらに何回か聖会に来て下さっている、他教会の牧師と女子高生。キャンセルになった一枚のチケットを使ってもらおうとお誘いしたら、二人出来て下さることになったのです。

私達は、ゆったりとコンサートを聴き楽しむことが出来ました。さらに今回の恵みはその牧師親子とお茶を一緒にして、ゆっくり話が出来て、神様本当に感謝します。(ドルカス)

 

 

 

 

 

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断食は、みこころの時に

2011年08月11日 | 信仰

 今ダイエットなどで断食をする方がいるようですが、それとはまったっく別に、 クリスチャンがする最も強い形での祈りとして断食があります。最近「み声新聞」の「牧師つれづれ日記」において、パウロ秋元牧師がオサンリでの断食体験を次のように述べておられました。


 ~さてそこでの断食祈祷は、ひどいものでした。おなかが減って、倒れてしまい、あおむけになって、ただ病人のように、弱々しく異言を語っているだけでした~


 これを読んでいて「そうそう私も同じだった」ことを思い出します。わたしの場合は同じオサンリでもたったの三日しかしなかったので、とても断食と言えるものではありません。Dannzikiしかし二日目、三日目のつらさは秋元牧師と全く同じで、心を定めて「祈りに祈る」なんて力はどこにもありませんでした。本当に辛くて倒れてしまい、ただ早くこの時が過ぎてくれるよう願っていました。


 最近新宿オアシスという書店で「修道院の断食」という本(写真)を求めて読んでいます。読み進めるにつれてかつて自分のした断食が、ただ「食べない」という意気込みだけであって、勢いだけで異国の全く見知らぬ祈祷院に乗り込んだという、かなり無謀なことであったとわかりました。指導者あるいは同伴者の存在、断食にあらわれるつらい諸症状への経験に基づく科学的な対応(サポート体制)があったなら、どんなに本来の祈るということができたかと、かなり悔しい思いにさせられます。

 さて前述の秋元牧師が「みこころの時、断食するようにお勧めします」と言われていますが、最近も「その通り」だと実感することがありました。数日前のことですが、1年前の8月8日はわたしたち夫婦にとって、船橋への牧師按手の日でもありました。私はこの年ではかなり運動している方なので、断食をすると相当ブレーキになり、できれば避けたい人間です。避けたいだけでなく、できれば断食したくない部類に入ると思います。しかし神さまに示されたら、どんな嫌なことあれ、牧師ですから喜んでみこころには従うのです。 Ha_itai2


 8月8日の三日前でしたが、早天の祈りをしていると、突然「8日には断食をもって、これからの備えをするように」と示されました。内心(ああ嫌だ)と思ってしまいました。しかし嫌なことを示される時、それがみこころである可能性は非常に高いのです。それで妻には「みこころだと思うから、その日断食しよう。みこころでなければ辛い断食になるので、途中で止めてもよいから」と、指示されたことを伝えました。


  はたして8日の日はどうであったかというと、どういうわけかその日は「食欲」が一日中湧かなかったのです。それで楽々断食が達成できただけでなく、朝の祈りから夜床につく直前まで夫婦で祈れた祈りの日となりました。三度三度の食事をきちんと食べないと気が済まない私に、こんなことは普通起こりえないことです。「みこころの時、断食する」ことは、かくも祝福されるものかを体験したのです! 主をあがめます。 (ケパ)

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ティータイム

2011年08月10日 | 食べる

ティタイム
水曜礼拝の午後、午後のティータイム。

時にはこうして狭い事務所から解放されて時間を持ちます。

今日は南口のコーヒー店でスィ-ツとアイスコーヒー頂きました。

なんとも可愛らしく美味しいワッフルで感謝しいただきました。

こんな時にも私達クリスチャンの話題は、

いつも神様が中心である事がうれしい ドルカス

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同じ心ではない

2011年08月09日 | 感謝

 先だって私はあるファミレス(ファミリーレストラン)に居て、Familyrestrant つい見ることもなく辺りを見回していた。ファミレスだから皆、食事風景である。とある中年男性が一人、かなり離れて、さらに年配のご婦人が一人、それぞれ食事をしておられる。そして私はかつての自分の姿をそこに見出していた。

 家族が離散し、ただひとりで生きなければならなかった。やがて妻を天に送った。そんな時代はまさに砂を噛むような、ただ体の必要を満たすためだけに、食物を口に入れていた。車にガソリンを補給しているのと同じ。
 しかし時が来て、クリスチャン生活30年を経て、神様を体験してからというもの、食事後は聖書を読む楽しさが加わって、少しはこの感覚が薄らいだ。何しろ神様が私と共に歩んでくださるのだ。孤独では無い。その上、「あなたは結婚します」という示しを聞いて聞いてから以後(※これら「示し」「語りかけ」は本当に神から来ているのかどうか、すべて聖書を土台に吟味と祈りが必要です)、この独身の時代が
Weddingpいつまでも続くものでない、ならばこの時代を楽しもうと、すごい励ましがあった。

 後になってこのほか、妻に関して示された多くのことはことごとく実現 した。今私の前にはいつも妻が居る。これは実に不思議なことだ。そして私の人生でこれほど幸せを感じることは、おのろけで無く、無かった。すべては神を直に体験したことからの恵みだった。心から神を崇めます。
 今にして思うことだが、もし一人で食べる空しさをつくづく体験した時代が無かったならば、決してこのように「食事を妻と共に食べる」ことの喜びを感じる人間にはなっていなかったと。ひょっとして妻と食事しながらも、そばを通り過ぎる女性に気が散っていたり、妻との会話に飽き飽きしている男になっていたかと思う。だから受けた試練や困難が、今この私を新しく造り替えたいうことが分かる。するとこれらの受けた苦しみこそ、まこと(真実)の神の愛であったと置き換えられる。

妻を前にして、私は前の私と同じ心ではない。キリストの十字架は、一見サタンの勝利に見えたが、実は神の人類救済計画の完成と逆転勝利した。同じように、許された試練や困難は一転して、私の祝福の一つとなった。神の愛はどんなに偉大であることか!思い知る。 (ケパ)

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任命から一年

2011年08月09日 | 教会のこと

 1年前の8月8日、私達が船橋の教会の牧師として任命された日です。ちょうど1年目になる前に、その三日程前からケパさんは祈りの中で示されていました。「8日は丸一日(三食)の断食をもって『召し』のために祈りなさい」と。示されてケパさんが言葉に出した直後・・・「ゲゲッ」・・・・・
 ・・・じつはケパさんは断食が苦手です。一度御心で無い時にやって、ひどく辛い経験をしました。ですから断食は御心が確実の時にだけすると、いつも言っていたのです。もちろん派遣前の断食はします。それ以外の断食についてです。
 それで、前日再度「御心」かどうか祈りました。すると、「御心のようだからしましょう」と。Foods
「御心でなかったら、三食もとても続かないから、すぐにわかるからね。」とも。

 そんなわけで、8日の一日断食を始めたのです。いつもよりさらに真剣に教会のことを祈りました。不思議だったのは、ケパさんは最後まで「腹が減った」とかそんなそぶりを見せなかったことでした。それどころか「この調子だったら、まだまだ断食が続けられそう」なんて信じられないことを言います。いつも正確な腹時計で、時間になると「お腹が減ったよぉ」と言う人が・・・・。
 今回、「御心ってすごい」と、本当にわかりました。はい。・・(食事時間は気にしないドルカス)


ちなみに写真はパトモス派遣中にあった、P宣教師宅でのおもてなし

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素晴らしいトラクト

2011年08月07日 | 教会のこと

 東京アンテオケ教会は、この白馬キャンプでの関わりで素晴らしい贈呈をいただき、その恵みを全国の希望する各教会もいただけたのです。昨日ケパさんとアンテオケ教会まで車で出向き、まさに配達直後のトラクトを、「いただけるだけ下さい。」と謙虚に申し出ましたら、「MAXIMで○箱ね」と、感謝していただいたのです。

開いてみてびっくり。実は昨年船橋に遣わされた直後、ケパさんはキリスト教書店で、伝道にTorakuto 使うためにトラクト探しをしました。その時に一番良いと思い、しかし値段が高いので、躊躇したトラクト。今回たくさん頂いたこのトラクトがまさにそれだったのです。とにかく一番使いたいトラクトでした。それとも知らず、たくさんの数をいただけました。

明日8月8日は昨年船橋へ按手され一年になります。その日を前に素晴らしい恵みを頂きました。教会は未だに信徒が増えているわけではありません。見えることは何の変化もありませんが、しかし、パトモス派遣・白馬キャンプ後、段階が引きあがると、預言がありましたが、船橋にもそのことが現れてきていることを、ハレルヤ。

このトラクトを用いて、船橋の多くの人々に伝道しなさい。と、言われるのです。はいそのように働きますね。積まれたトラクト一冊一冊祈りを込めて配ります。

神様感謝します。(ドルカス)

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テニスボールの有効活用・静音化対策

2011年08月06日 | PC モノ 便利

 今日はテニスボールの有効活用の話。ちょっと空気の抜けた使用済みのテニスボール、最近は土のコートが減って、外観はきれいなままでもゴム系のゴミとなるのがお定め。わが家でも空気圧に神経質なケパから、かなりの数が出る。ところがこのテニスボール、最後にもう一働き!というわけで、イスの足カバーに使います(写真)。

Tennis
 机とか椅子の脚の下にはよくフェルトを貼ったり、ゴムキャップをかぶせますが、難点はフェルトははがれ、ゴムはゴム痕がついたり滑りにくいこと。その点テニスボールキャップはその両方をカバーして、まさにハイブリッドです。難点は美観上ダメという人がいること。

 ドルカスも最初「イヤイヤ」していましたが、ある日ケパが独断決行!・・・・しばらくすると「ねえ、これにも付けて。あれにも付けてぇ」とおねだりされるようになりました。決して抜けないフェルトとゴムのハイブリッド必須アイテム。今日はちょっと古くなったので、新ボールに取り替えです。すっごくいいですよ!

 教師時代には、教室中のイスをこれにしました。子どもを指名すると「はい!」と立ってくれるのはよいのですが、狭いため、つい立つ動作でイスを後ろへ押す。するとキィー・ゴォーと特異な音が鳴るため、耳をふさぐ子すらいました。これで解消 後に学校中で要望があって、さすがに個人の量では足りず、所属のテニスクラブをあげて協力してもらったことがありました。How_cut

<作り方>  まずボールをカッターナイフで十文字に切ります。使うカッターは普通のでも良いのですが、ケパはあれば大型カッターを使っていました。下手に切ると、気持ちよく指を切ってしまうので、ご注意を!(※カッターの進む方向に指を決して置かないこと)

 コツは同じ長さでなく、調節のために短めの線があること(写真の赤線が短めの線・・・長さは実寸にプラス0.5~1cmぐらいです)です。最後にボールの十字の真ん中めがけ、イスの足をぶすっと挿して完了です。なお、個人的にボールを私に頼める人は、遠慮なくどうぞ。 (ケパ)

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どこに居るの?

2011年08月05日 | ネコのコールと‥‥

 夕方からの「ピースフル」の練習の為の準備しているのに、なぜかコールの気配がない。Cat10  あら~どこですか?と捜しても見えないので少々焦った。

なぜかって、実は一月程前に逃亡したことがあるから。勿論蒼くなり必死で捜した。しかし狭い我が家、捜す所は知れてる。

ベランダからマンション入口を見下ろしていたら、一瞬走る影を目撃、慌て階段を駆け降り、名前を呼ぶと、隠れていた駐輪場から出てきて、私の胸に飛び込んだ。どうして脱走出来たのか その時は北側の窓が、頭が抜けるに十分な広さに空いてたらしい。四階の窓から窓枠を伝わり外階段へ出たのだ。 後でその窓枠にコールの毛が付いているのを発見した。

 その頃、総ての窓はコールの頭が抜けない幅に開けてロックしておいたのだった。だから脱出はないと思って、窓の空き幅チェックを怠った。

しかし、今すべての窓には編み戸を付けて、さらにコールには開けることの出来無いように工夫してある。Cat11 だから外へは出られないはず。ではコールはどこに居るのよ

 フッと食器棚を見ると、コールの長いしっぽと、丸いお尻が見えた。なによコール心配させて。夏の今、その高い場所では暑いでしょうに。

でも見つけてホッとしたらその姿がなんと可愛らしく見える。

そのまま降りる気も無いコールを置いて、さあ船橋へ急ぎます。ドルカス

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ハイブリッド車

2011年08月04日 | PC モノ 便利

 最近ハイブリッドなる車に乗って運転した。もうカローラ並に普通に見るので、珍しくも何ともない話である。小生も燃費の良さに惹Priusかれて運転したのであるが、実はそれ以上に驚いたことがある。二十歳から車に乗り続けているが、これほど車について驚いた経験はない。(写真=街では一番多く見るハイブリッド車のプリウス。この話もプリウスの体験による。)

 これまではエンジンとかブレーキの制御などに電子部品が多く使われ、格段に進歩してきた。しかしそれは、どこまでも車というものを補助し支える働きだったはずである。ところがこのハイブリッドなるものは、どうも勝手が全然違う。ギア一つについても、これまでのような入れたら体で分かる「カチャ」「ガシッ」でなく、単なるスイッチであって、ギアが本当に入ったかどうかの確認は、ディスプレイでするようになっている。つまり操作感がなく、電子化が極まってる。


 それだけでない、単にエンジン音がないだけでなく、回生充電だの、エコ運転の段階化があって、その情報がディスプレイでリアルタイムに分かるようにしてある。それは早い話、エンジンまでが、本業の駆動にではなく、充電用の発電機と化してる感じである。「な、何なんだ!」という驚きが湧いてきた。しばらくして分かったことは、早とちりかも知れないが、下の図の通りである。これまでの主だと思っていた人(左側)や車は、今やコンピュータに従う存在と化している(右側)ことだ。おまけに運転席はまるでカプセルみたいで、視覚Hybrid1_3的な車両感覚がない!古いかも知れないが、実に車らしくない


 こ、これは・・・・・・「ややっ」。便利さとエコの名の下に、コンピュータが人間を下位に置きだし始めていないかぁ。  (ケパ)

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書きたかったこと

2011年08月04日 | 感謝

 8月6日がすぐです。1945年広島のことが昨夜TV番組で放映されていました。広島生まれのケパさんにどう思う?と聞いたの。多くの広島と長崎市民が犠牲となって戦争が終わった。と、ぼそっと言いました。かつて本人も被爆していないかと詮索されたことがある。とも聞きました。このことをブログに書こうと思い、何度も書き直すのですが・・・私には荷が大きすぎました

 ガックリして落ち込んだ私ですが、ふっと思い出したの。とてもうれしかったことを。Tshirit
火曜日二人でいつものスーパーで買い物済ませ、駐車場へ行く途中、特売店のワゴンにケパさん愛用5本指ソックスを見つけ立ち寄りました。
 すると、販売員が「あっエルサレムのT-シャツですね。行かれたのですか?」と言うのです。自分の着ていたシャツを思わず見て「そうなのエルサレムで買ったのよ。」
「私一年イスラエルのキブツで勉強しながら働いていました。」
「もっと居たかったのですが、観光ビザなので断念して帰りました。また行きたい」
「私達の教会では毎年メンバーを募集して派遣ツアー行くのよ。そしてガリラヤ湖で祈るの」と、思いがけない会話が出来ました。
さらに、持ち合わせた教会の「週報」に、このブログの紹介をメモ書きしてお渡したのです。彼女がクリスチャンかどうかは聞きませんでした。その必要は無かった。私達がクリスチャンである事が証し出来たから、私はそれでうれしい。

車の中でさらにアトピーで傷んだ彼女の皮膚のために祈りました。完全に癒やされますように。神様この祈りを憐れんで下さいますように。御心でしたら彼女とまた再会できますように。このブログ開いてくれますように。ハレルヤ神さま、思い出せたこと感謝します・・・ドルカス

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