長いあいだ使ったライカM8を手放すことにした。M8よりもよく写るカメラを見つけてしまったのである。それを買うために売りに出されるというわけだ。
ついでにM8の撮影に必要なUV/IRカットフィルターやIRフィルターも全部売ってしまったので、すっきり。もうこの先、二度と赤外線写真を撮ることはないだろう。
手放したM8はいまからちょうど5年まえにヤフオクで手に入れたものだ。中古品でもおそろしく高価で、国産の高級デジカメが新品で買えるほどであった。すでに何台もの銀塩ライカとそのレンズに手を染め、いわゆる「ライカ沼」という底なしとも思える沼に首まで浸かっていたころだ。
ライカの魅力はきれいな写真が撮れる小型カメラということに尽きるのであるが、そのシンプルなデザインと工芸品のような仕上がりのおかげで、写真を撮る道具という本来の目的を超えて、所有するよろこびをもたらす物という付加価値がついてしまった。
ライカ好きのほとんどの人(もちろんわたしもその中の一人)がその「よろこび」を感じ、フィルムも入っていないライカの空シャッターを切って恍惚とするのである。だが、あの静かな布幕シャッターが世界の光を見ないまま、暗い防湿庫で眠っているとすれば、じつに残念なことではある。
ライカをこの世に誕生させたオスカー・バルナック博士がそういう状況を見たら、きっとこう嘆くであろう。「おお、私のつくったカメラで写真を撮ってくれ!」
じつはよく写る数本のレンズとM2だけは、まだ処分せずに置いてある。M型やバルナック型、それにR型も合わせていろいろ使ってきたけど、さいごに残ったライカがこのM2だ。コイツはわたしと同じ製造年(つまり同じ歳)なので、わたしが死んだときにいっしょにガンジス川に葬ってもらおうと思っている。
ということで、ライカ沼からはなんとか脱出できたというお話でした。
それはさておき、M8を売ってまで手に入れようとしているカメラとは何か。その報告は近日中に。