3月12日、大山南尾根(上りは未踏)を登って、蓑毛越~十六丁へ、大山へは行かず
下社へ降りた。
8:35 小田急鶴巻温泉駅、「弘法の里湯」帰りに寄りました
温泉旅館街を抜けて
東名高速を抜け、冬枯れの登山道へ
カンスゲ
8:55 吾妻山:155m
弘法山分岐 ☛野菊と信仰のみちへ
9:25 善波峠(お地蔵さん、明治の廃仏毀釈の被害でしょうか?)
オニシバリ:ジンチョウゲ科、別名:夏坊主(なつぼうず)
樹皮が堅く、「鬼を縛ることもできる」とのことから、この名前になった。
「夏坊主」秋に生えた葉が、翌夏には落ちて”夏に坊主になる”ことから。
9:50 念仏山:357m
手前)伊勢原市街地 中央稜線)渋沢丘陵 奥)箱根の山々
シキミ
一旦下って登り返す、トレランが多い
10:35 高取山:556m
今日の大山(ピークへは行きません)
今日の富士山
「大山古道」表示板
富士山の祭神「木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)」と、
大山の祭神「大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)」が父・娘関係であることから、
富士山をお参りした後は、「片参り」を忌み嫌い、「両参り」として大山も参拝したという。
また、大山(旧坂本村)から大山不動堂(現・阿夫利神社下社)、
山頂の石尊大権現(現・阿夫利神社本社)への参拝道を「表参道」、
蓑毛から直接、山頂へ至る道は「裏参道」とも言われていた。
不動像 ⇒10:55 不動越(林道と交差)ここまでは登山道
広めの植林帯の道に
11:20 無線中継所通過
再び登山道へ(浅間山分岐)
「浅間宮」の石祠
11:30 浅間山:680m(今日のメイン)
いつも横を通っていたが今日は寄ってみた。
三等三角点
11:45 蓑毛越 昼か?三つあるベンチも空いてないし、Goo
ここから標高差約280m、一六丁への激登りに踏み出した
「賽(西)の河原」
石仏が六体ほど並んでいる。明治維新の廃仏毀釈の嵐で破壊されたものか、
左端の地蔵尊像と思われる一体には「奉造立相州大山寺」などの文字が読み取れる。
かつて「大山詣で」の西の門前町でもあった蓑毛からの道は、
「蓑毛道」「富士浅間道」と呼ばれ、小田原・伊豆・駿河・甲斐方面から、
さらには富士山参詣の人々が大山を目指した。
道は緩やかに
「女人禁制の碑」の説明板、石塔には「従是女人制」と刻まれている。
表参道も歩きづらいが、裏参道木段はあるが大きな岩がゴロゴロしている
12:25 十六丁:955m・ベンチで昼を食べた、12:45 下社へ降ります、
春休みとあって家族連れが多かった。
13:00 「阿夫利大神」(急登の階段の手前)
「阿夫利神社」に頭を垂れて
大山寺
*
行程:(累計)標高差1200m、12km、5時間
8:35 小田急鶴巻温泉駅 ⇒8:55 吾妻山 ⇒9:25 善波峠 ⇒9:50 念仏山
⇒10:35 高取山 ⇒10:55 不動越 ⇒11:30 浅間山 ⇒11:45 蓑毛越
⇒12:25 十六丁・昼食 ⇒13:10 阿夫利神社下社 ⇒13:45 大山ケーブルBS
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>>>> 空海8
に感染したようです
空海は入唐まで無名の僧であった。
ながく私度僧のまま居て、官に登録されていなかった。
入唐し、帰朝して後の空海をとりまく事情は一変した。
インドに始まった密教という非釈迦的な世界を確立した。
密教は釈迦の思想を包摂しているが、他の仏教のように釈迦を教祖とすることはなかった。
大日という宇宙の原理に人間のかたちをあたえてそれを教祖としている。
*
空海の思想には「貧しいものには物をあたえよ、富めるものには法をあたえよ」
という、それまでの釈迦仏教(煩悩から解脱することだけを目的とした)
にはない思想があった。
物質的世界で困っているものにはとりあえず法より利を与えるという
思想上の使命もあった。
【空海の風景:司馬遼太郎著】
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