6月22日ユネスコの世界遺産委員会は、「富士山」を世界文化遺産に登録することを決めた。
富士山の登録で、国内の文化遺産は13件、自然遺産と合わせた世界遺産は17件になる。
また、名称は、文化遺産としての性格がよりわかるよう、推薦時の「富士山」から
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」と変更された。 (朝日新聞より抜粋)
今週は理由あって山歩きは休み、富士山について書いてみました。
:1月高尾山から
世界遺産とは?
☆人類全体に普遍的な価値を持つと認められた文化財や自然環境
世界には、これまで人類が残してきた遺跡や文化的な価値が高い建造物、
貴重な自然環境など、世界中の人々が共有し、次の世代に受け継いでいくべき
“宝物”がたくさんある。
その中から国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「世界遺産条約
(世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約)」に基づいて
「顕著な普遍的な価値を有するもの」を選び、世界遺産リストに登録しています。
リストに登録された文化財や自然環境を「世界遺産」といいます。
世界遺産には、記念物、建造物群、遺跡、文化的景観などからなる①「文化遺産」、
地形や地質、生態系、自然景観などからなる②「自然遺産」、この双方の特質を備えた
③「複合遺産」の3種類があります。
:1月思親山から
富士山は当初、自然遺産への登録が検討されたが、
残念ながらどうしてもその4つの登録基準に、入らない。
一部では富士山のゴミがと報じられていますが、富士山からゴミが一つもなくなっても
自然遺産にはならないのです。
富士山が何万年かけて生成された美しいコニーデ型の火山だといっても、
この種の火山はいくつも存在する。(カムチャッカは特に多い)
青木ヶ原樹海における植生の多様性や、植物の垂直分布、あるいは富士の湧水の豊富さなど、
豊かな自然が存在しますが、世界遺産の基準に照らしていうと、どこにもあてはまらない。
:2月吾妻山から
富士山頂は何県?
富士山の頂上はなに県なのか?最新の地図では国内最高地点、3776mの
剣ヶ峰の北側から、山頂東の小富士までの東西約5kmは、県境ラインがない。
県境が確定していないからだ。かってはあったようだが、1928年(昭和3年)の修正版から
県境が消えている。5~7合目は山梨。静岡両県の土地に分かれ、登山道は県道だ。
だが、8合目から上の大半は、浅間大社が所有する私有地なのだ。
ただ、何県だか決まらず、地番もなく、登記できずにいる。
(1974年に財務省から約385万M2が譲渡されている)富士の火口は
大内院(幽宮)”ないいんかくりのみや”と呼ばれ、底が8合目に付近になる。
ここから先は聖なる地、結界。 富士山の御神体にあたる。
:3月薩田峠
富士山信仰
江戸時代に富士信仰の登山口としてにぎわった山梨県富士吉田市。
街中の目ぬき通りに、10m近い高さの金鳥居がそびえ立つ。
「俗世間と信仰の世界を隔てる結界」約15分歩くと北口本宮富士浅間神社に着く。
裏手に登山道がある。富士吉田に限らず、昔の登山口ごとに起点となる浅間神社があった。
縄文時代には麓から拝んでいた遺跡と考えられ、平安期には富士を浅間大神として
祀ったという記録が現れる。
「せの海」と呼ばれた巨大な湖を西湖と精進湖に分断した貞観の大噴火など、
当時は噴火活動が活発だった。荒ぶる火山を鎮めようとしたのだ。
噴火が落ち着くにつれ、仰ぎみるだけでなく、山に入って修行する富士修験が起こる。
拠点が村山口(富士宮市)で周辺に宿坊が出来た。
:浜石岳
庶民にも広がったのが江戸時代の富士講だ。
「厳しい登山により身を清める」富士講の根底にある思想です。
開祖とされる修験者・角行は、人穴と呼ばれる溶岩洞窟で苦行を重ねる。
授かった霊力によるお札などで、」信者を得た。
さらに長谷川角行から6代目の食行身禄が登場。
とにかく潔癖で清貧を重んじ修行したといいます。
彼の信仰の基礎は、「正直、慈悲、情け、不足」ということであり、
心の中に平安な世界を生み出すことにより、地上天国をつくろうとしたのです。
彼の時代は、「生類憐みの令」や飢饉による打ちこわしなど社会不安が満ちた。
世直しのため、断食し日目に死んだ。
その間に口述した教えは富士信仰の聖典となる。
江戸を中心に「講」と呼ばれる信仰集団ができ、山開きすると交代で富士に向かった。
栄えたのは角行や食行身禄(じきぎょうみろく)が使った吉田口。
「御師=おんし」と呼ばれる神職の屋敷に泊まった。
御師はおはらいなど信仰面のほか、荷を担ぐ強力の手配を含む観光業の役割も担った。
信者は白装束で「懺悔懺悔六根清浄」と唱えながら登った。
:南高尾から
世界遺産登録されることの意味は?
世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではない。
景観や環境の保全が義務付けられる。
年間30万人が登る富士山、入山を規制しようとの議論は当然出てくる。
入山料の導入もその一連の流れから出てきた話だ。
文化遺に登録されたために、入山が制限される事態がやってくるだろうことは推測される。
また、少なくとも日本では世界遺産に登録されることで観光客を呼び込もうとする
動きのあることも指摘されている。
【5月文化遺産への登録が内定時、富士急行の株が上昇したことでもその”懸念”はある】
:5月大蔵高丸
いずれにせよ、先人達の営為を伝える遺跡や建築物、
私たちを取り巻く自然環境はかけがえのないものです。
世界遺産に登録されたために、その遺跡や自然が傷ついてしまうのは本末転倒ともいえます。
世界遺産であるかないかにかかわらず、
こうした人類全体にとっての貴重な財産を
次の世代にしっかりと受け継いでいけるよう、日頃から大切にする意識を持ちたいものです。
:小倉山
老いも若きも、男も女も、あらゆる階級、あらゆる職業の人々が、「一度は富士登山を」と志す。
これほど民衆的な山も稀である。というより、国民的な山なのである。日本人は子供の時から
富士の歌をうたい、富士の絵を描いて育つ。自分の土地の一番形のいい山を指して何々富士
と名づける。最も美しいもの、最も気高いもの、最も神聖なものの普遍的な典型として、
いつも挙げられるのは不二(富士)の高根であった。
世界各国にはそれぞれ名山がある。しかし、富士山ほど一国を代表し、国民の精神的資産
となった山はほかにないだろう。 (深田久弥:日本百名山、富士山より抜粋)
:達磨山から
富士登山は夏のレジャーアイテムの一つになっている。
登山ではなく、レジャーとして、「今年は富士山へ行くか」という”のり”で行く。
初心者は何故か、初めに一番きつい山に登る?!?
かくいう自分も、20代後半、かくたる山登りの経験もないまま、弾丸登山を試みた。
22:00頃 横浜から車に同乗し、0:00 5合目へ、10人程度の団体で頂を目指した。
水も現地で買えば高いからと、十分に準備して。
登山靴は当時”キヤラバンシューズ”といったものを購入して登った。
御来光は8合目あたりで見たが、疲れで感激するどころではなかった。
夜が明けると、視界が開け、登山者がありのように登山道に並んで歩いていた。
無時山頂へ、岩だらけの山を見て、もう2度とくることはないと漠然と考えた。
息たえだえに、お鉢回りをし、”砂走り”を雷に追われながら走って下った。
雨にも打たれた、いい思い出が一つもない富士山登山だった。
「富士山は見る山」との認識が焼付いた。
最近思うのは、
『晴天の富士山に登り、山頂から、今まで登った山を見たいと思うようになった』
きっと若い頃登った時と、違う絵が見れるとおもう。
(参考文献:富士山が世界遺産になる日、PHP研究所発行)
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8ケ月の誕生日、大きく成長しました。
楽しみにしていたバザーは”鼻詰まり”でキヤンセルしましたけど。
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