元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「クロス・ミッション」

2024-08-23 06:35:01 | 映画の感想(か行)
 (英題:MISSION CROSS )2024年8月よりNetflixから配信された韓国製アクション劇。前半はコメディ・タッチで楽しめるが、中盤を過ぎると、よくある活劇編のレベルに落ち着いてしまう。最後までスタイルに一貫性を持たせた方が良かったと思う。とはいえ、キャストは好調だしテンポも悪くないので、一応ラストまで観ていられる。

 ソウル市警に所属する敏腕女刑事カン・ミソンは、仲間内で“ワニ”と呼ばれるほどの強引で手荒な捜査で、周囲から恐れられていた。夫のパク・ガンムは幼稚園の送迎バスの運転手をしながら、主夫として彼女を支える気弱で穏やかな男だ。しかし、実は彼は韓国政府の諜報機関に属していた元特殊要員で、もちろん妻にはそれを隠して結婚したのだった。ある日、ガンムは昔の仲間と再会するが、それを切っ掛けに彼はまたしても国家的陰謀に巻き込まれていく。一方、ミソンは別のヤマ追っていたが、偶然それはガンムが直面している事態と繋がっていた。



 男勝りのミソンと恐妻家を装うガンムとの掛け合いが展開する序盤は面白く、ギャグも鮮やかに決まる。さらにガンムが以前の同僚である女性エージェントと会う現場をミソンの同僚たちが目撃し、これは不倫だと早合点するあたりは実に愉快だ。こういうライトな路線で全編進めて欲しかったのだが、主人公夫婦が“共闘”を始める後半に入るとドンパチ主体の単なるアクション劇に移行するのは不満である。

 もっとも、活劇の段取りはけっこう良く考えられているとは思うが(特にカーチェイス場面)、それだけではこの映画のストレートな作劇の欠如を補いきれない。あと、敵の首魁の扱いがいたずらにマンガチックで気勢が削がれる。脚本も担当したイ・ミョンフンの演出は、コメディのパートこそ上手くこなしているが、アクションシーンの繰り出し方は意外と平凡だ。結末の付け方も、あまりスマートとは言えない。これでは主人公2人の今後が見通しが掴めないと思う。

 とはいえ、主演のファン・ジョンミンとヨム・ジョンアは絶好調。表情の豊かさも身体のキレも、そしてギャグの繰り出し方も満点だ。チョン・ヘジンやチョン・マンシク、キム・ジュホン、キム・ジュンハンら脇の面子も悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クレオの夏休み」

2024-08-18 06:29:56 | 映画の感想(か行)
 (原題:AMA GLORIA)世評は高いようだが、個人的にはピンと来ないシャシンだった。とにかく、話に愛嬌が足りない。別に、子供を主人公にしたヒューマンドラマだからといって肌触りの良いハートウォーミングなストーリーに仕上げる必要は無いのだが、本作はイヤな面が目立つ割にリアリティが希薄であり、観ている間は違和感しか覚えない。まあ、上映時間が83分と短いのが救いだろうか。

 パリに父親アルノーと暮らす6歳のクレオは母親を早くに亡くし、彼女は何かと面倒を見てくれる乳母のグロリアに懐いていた。ところがある日、グロリアは身内に不幸があったため遠く離れた故郷アフリカへ帰ることになってしまう。突然の別れに戸惑うクレオだったが、グロリアは彼女をアフリカの実家に招待する。そしてクレオはアフリカでの夏休みを過ごすことになる。



 実は、クレオの旅は決して愉快なものではない。グロリアの娘のナンダには産まれたばかりの赤ん坊がいて、当然のことながらグロリアはそっちの世話で忙しく、クレオをあまり構ってやれない。ただでさえ言葉が通じずに、ヨソ者のクレオは現地では上手く振る舞えない。ついには彼女は赤ん坊がいなければグロリアがフランスに帰ってくると考えてしまうような、愉快にならざる展開にもなる。

 もちろん、これはクレオ自身の責任ではなく、子供の気持ちを十分考慮しなかった父親やグロリアら大人たちに落ち度があるのだが、いくら何でも理不尽過ぎないか。クレオが思い切った行動に出てグロリアの親類たちとの距離を縮めそうなエピソードもあるのだが、効果的に描かれているとは思えない。そもそもこのシチュエーションに普遍性が見出せず、観ているこちらには何ら迫ってくるものが無い。

 マリー・アマシュケリの演出は求心力に欠け、露悪的なテイストばかりが先行しているように思う。そもそも、グロリアの故国カーボベルデは火山列島らしい奇観が多いらしいが、それらがほとんどフィーチャーされていないのも失当だろう。クレオ役のルイーズ・モーロワ=パンザニは、役柄のせいもあって可愛さに乏しい子供である。グロリアに扮するイルサ・モレノ・ゼーゴも大した見せ場は無い。

 アルノーを演じるアルノー・ルボチーニは、確かに考えが足りない父親像を上手く演じていたとは思うが、映画的興趣を醸し出しているとは言えない。あと気になったのが、アリー・アマシュケリとピエール=エマニュエル・リエによる、時折挿入されるアニメーション。さほどキレイでも面白くもなく、何のために起用したのか不明だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「彼女はハイスクール・ボーイ」

2024-08-17 06:29:21 | 映画の感想(か行)

 (原題:JUST ONE OF THE GUYS)85年作品。まったく期待しないで観たものの、意外な拾い物であった。日本の学園マンガなどにはよくありそうな設定であるが、不思議なことに日本映画ではこんなシチュエーションのドラマは思い出せない。大林宣彦監督の「転校生」と似たところがあるが、やっぱり違う。オリジナルの題材は数多く考案されてもそれを実際に映画として企画してしまうことは、やはり邦画では難しいのであろう。それをためらいも無くやってしまうのが、アメリカ映画の思い切りの良さとも言える。

 アリゾナ州の高校に通うテリーは、ジャーナリスト志望の女生徒だ。自信満々で地元新聞の記事コンテストに応募したものの、落選を知りショックを受ける。しかもその理由が“女子だから”という理不尽なもの。ならば男子の人生がどのようなものか確かめようと、男装して次の週から隣町の高校に勝手に転校してしまう。

 彼女は初日早々にリックという親友が出来るが、彼は内気で片思いしているデボラに声も掛けられない。そこでテリーは“男らしい(笑)”アドバイスで彼をイメージチェンジさせ、デボラと接近させることに成功。しかしデボラの恋人で悪ガキのグレッグが黙っていない。かくして複雑な三角関係もどきが賑々しく展開するのであった。

 ストーリーはだいたい予想通り。最後は収まるべきところに収まるのだが、下品な描写も無く気持ちよく観ていられる。けっこう前の映画なので、ジェンダーの扱い方は現時点からすれば古風に過ぎるかもしれない。性別でコンテストの入選が左右されるというのも、かなりキツいだろう。

 しかしリサ・ゴットリーブの演出は丁寧で、男女入れ替わりネタに突入する段取りは上手く、ギャグも鮮やかに決まる。テリーに扮するジョイス・ハイザーは芸達者で、難しい役柄を違和感なくこなしているし、見た目も可愛い。ただ、彼女は実質これ一作で消えたようなので残念だ。

 リック役のクレイトン・ローナーは好演だが、この頃はやっぱり若い(笑)。デボラ・グッドリッチにレイ・マクロスキー、シェリリン・フェンといった脇のキャストも堅実だ。音楽を担当しているのが何とフュージョン界の大物トム・スコットで、流麗なメロディを奏でている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コンボイ」

2024-07-28 06:28:57 | 映画の感想(か行)

 (原題:CONVOY)78年作品。日本公開は同年のサマーシーズンである。言うまでもなく、当時はジョージ・ルーカス監督の超話題作「スター・ウォーズ」が堂々の夏休み番組として拡大公開されていたはずだ。それに対抗するもう一本の大作映画ということで大々的にPRされていたらしいが、正直言って格が違いすぎると思う。夏興行を避けて秋頃あたりに公開していた方が、もっと人々の記憶に残ったのではないだろうか。

 大型タンクローリーを駆るラバー・ダックは、とにかく警察との仲が悪い。その日もアリゾナ州の酒場で、トラック仲間と一緒に警官隊相手に大立ち回りをやらかしていた。警官たちをノックアウトして悠々と引き上げるラバー・ダックらを、トラッカーたちの積年の敵である鬼保安官ライルはしつこく追ってくる。CB無線によりラバー・ダックの武勇伝が広まると、参加者は増加。一大トラック軍団はニューメキシコ州に入るが、そこでは州知事や州軍なども出てきて騒ぎはますます大きくなる。

 主人公が当局側と反目して騒乱を引き起こす理由が、イマイチ分からない。まあ、劇中ではトラック運転手の待遇が悪いとか、有色人種のドライバーは差別されているとか、そういう謳い文句は出てくるのだが、それが派手な破壊活動に繋がるとは思えない。

 その頃はベトナムから米軍が撤退してからあまり時間が経っておらず、リベラルな雰囲気がアメリカ社会を覆っていたようなので斯様な建て付けも違和感は無かったのかもしれないが、今観ると主人公たちの底の浅さばかりが印象付けられる。監督はサム・ペキンパーだが、彼らしさが出ているのは酒場での乱闘場面ぐらいで、あとは凡庸な展開が続く。アクションシーンも全然大したことは無い。

 ラバー・ダック役はクリス・クリストファーソンだが、どうも彼は俳優よりも歌手としてのイメージが強いので、本作ではサマになっているとは思えない。バート・ヤングをはじめとするトラック野郎に扮する面子もパッとせず、ヒロイン役のアリ・マッグローに至っては印象は限りなく薄い。結局、一番目立っていたのはライルを演じるアーネスト・ボーグナインだったりする。

 脚本がB・W・L・ノートンという凡庸な人材を持ってきたのはよろしくないし、第二監督を俳優のジェームズ・コバーンが務めているのもどうかと思う。なお、この映画はC・W・マッコールにより75年に作られた同名のカントリー&ウエスタンのナンバーを元ネタにしているらしい。何やら大昔の“歌謡映画”を思わせる企画ではある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「朽ちないサクラ」

2024-07-20 06:25:20 | 映画の感想(か行)
 かなり無理のある設定とストーリー運びなのだが、結局最後までそれほど退屈することなく観終えてしまった。これは題材のユニークさと各キャストの奮闘ぶりに尽きるだろう。特段持ち上げるような出来ではないものの、凡作と片付けてしまうのは惜しいと思わせるようなシャシンだ。

 ストーカー被害を警察に訴えていた愛知県在住の女子大生が、ストーカー犯である神社の神主に殺害される。被害届の受理を警察が先送りにしたのは、その間に慰安旅行が行なわれていたためだとのスクープ記事が地元新聞に掲載。愛知県警広報課の森口泉は、親友である新聞記者の津村千佳が記事にしたのではないかと疑うが、今度は千佳が変死体で発見される。泉は職域を逸脱して独自に犯人を捜し始める。柚月裕子による警察ミステリー小説の映画化だ。



 まず、主人公が刑事でも制服警官でもなく、広報担当者である点が面白い。一応は現場経験のある上司や知り合いの刑事などの協力を得るものの、彼女自身には捜査権など無いのだ。そのためゲリラ的な活動に終始せねばならず、普通のポリス・ストーリーとはひと味違う展開になる。

 やがて事件の裏には、公安警察という普段は活動実態が表に出ない組織が関与していることが明らかになるが、ここからの筋書きがあまりにも強引だ。カルト宗教の存在も、何やら取って付けたような印象を受ける。そもそも、この局面になれば泉の身も危うくなるのだが、ほとんど言及されていないのは失当だろう。

 とはいえ、これが長編映画第二作目となる原廣利の演出は侮れないレベルには達しており、淀みなくドラマを進めている。そして何といっても主演の杉咲花だ。おそらく現時点で二十歳代の女優の中では最も力量が安定している部類かと思う。何をやってもサマになり、本作でも安心して観ていられるパフォーマンスを披露している。

 豊原功補に安田顕、藤田朋子といったベテランに加え、坂東巳之助に萩原利久、森田想といった若手も上手く機能している。橋本篤志による撮影と森優太の音楽は万全。舞台になった愛知県豊川市の風景も捨てがたい。何やら続編が作れそうな幕切れではあるが、小説版ではシリーズ化されているので、パート2の製作もあり得るかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「かくしごと」

2024-07-06 06:22:37 | 映画の感想(か行)
 あまり上等とは言えないストーリーを、必死で適宜取り繕っていくような脚本の運びには観ていて愉快になれない。北國浩二の小説「嘘」(私は未読)を元にしているが、たとえ原作の筋書きが万全ではなくても、映画化に際しては整合性を持たせたシナリオを用意すべきである。各キャストはかなり頑張っているだけに、もっと作品の練り上げが必要だった。

 絵本作家の里谷千紗子は、長らく絶縁状態となっていた父の孝蔵が認知症を患ったため、東京から故郷の長野県の山村に戻って介護することにする。久しぶりに会う父は、もはや娘の顔も判別できないほど病状が進んでおり、千紗子はウンザリしながらも世話に明け暮れる日々だ。ある夜、彼女は交通事故で記憶を失った少年を助ける。その少年の身体に虐待の痕跡を見つけた千紗子は、思わず自分のことを母だと彼に告げてしまう。こうして孝蔵と3人で山奥の一軒家で暮らし始める千紗子だったが、当地では少年の捜索願が両親から出されていた。



 くだんの交通事故を起こした車は、千紗子の友人で役場の職員である久江が運転していた。その夜は2人で居酒屋で飲んでいて、帰宅しようとする時刻に運転代行が来なかったため、久江がハンドルを握ったのだ。公務員である久江が飲酒運転するのはアウトだが、少年を千紗子が引き取ったのも単なる隠蔽工作ではないか。

 そもそも、少年がそんなに都合良く記憶喪失になるものだろうか。千紗子には幼くして亡くした息子がいたというのは取って付けたようなモチーフだし、少年がすぐに孝蔵と仲良くなるのも予定調和に過ぎる。極めつけは千紗子が身分を偽って少年の両親に会いに行くエピソードで、ああいう見え透いた素振りでは疑われるのは当然だ。しかも、これには脱力してしまような“後日談”までくっ付いており、この下手な展開にはプロデューサーは“待った”をかけるべきだったと思う。

 高齢者介護の厳しい実態も描出されず、リアリティ不足。第一これは自宅介護よりも施設への入所の方が優先事項だ。何よりこの映画は千紗子を主人公にするのではなく、最初から少年の側から話を進めるべきだったと思う。関根光才の演出は前作「生きてるだけで、愛。」(2018年)に比べて精彩を欠き、素材に対する及び腰なアプローチは気になる。

 それでも主演の杏をはじめ、佐津川愛美に酒向芳、和田聰宏、河井青葉、安藤政信、木竜麻生、そして孝蔵に扮する奥田瑛二と、俳優陣は皆好演。上野千蔵のカメラによる映像と、Aska Matsumiyaの音楽、羊文学の主題歌も悪くない。それだけに脚本の不備が残念だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「関心領域」

2024-06-21 06:22:22 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE ZONE OF INTEREST)かなりの高評価を得ている作品で、私もこの非凡すぎる設定に大いに興味を惹かれ、期待して鑑賞に臨んだのだが、どうにも気勢の上がらない結果に終わってしまった。端的に言って、これは“策に溺れた”ような印象を受ける。題材は良いのだから、もう少し訴求力のあるモチーフを繰り出すべきだったと思う。

 第二次大戦中、ホロコーストや強制労働によりユダヤ人を中心に多くの人々を死に至らしめたアウシュビッツ強制収容所の隣で、平和な生活を送るルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘス所長一家の日常を描く。イギリスの作家マーティン・エイミスの小説を原案にした作品だ。



 まず困惑したのが、冒頭のタイトルバックに不穏なサウンドが鳴り響き、スクリーンが数分ブラックアウトしたこと。スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」(68年)の、エンドタイトル後の真っ暗な画面に音楽だけが流れるパートを思い出してしまったが、あれは映画の余韻を深めるという意味で効果はあった。対してこの映画は、確かに不穏な空気感は醸成されたのかもしれないが、放送事故に無理矢理付き合わされたような不快感だけが残ってしまう。

 本編は複数の隠し撮りに近い状態に置かれた固定カメラが捉えた映像を繋げたようなものが中心に進むが、確かにドキュメンタリータッチは強調されるものの、プラスアルファの効果があったとは思えない。塀を隔てた場所では惨劇が展開されてはいるが、ヘス邸では平穏無事な時間が流れていく。なるほどそれは大いなる戦争の不条理であるし、糾弾されるべきだとは思うが、映画自体はその構図から動くことは無い。

 主人公の親戚が訪ねてくるが、ただならぬ雰囲気を感じて一泊だけして去って行ったり、収容者を物扱いして効率的な“処理”を話し合ったりするナチスの連中の描写など、いろいろとネタを繰り出しては来るのだが、いずれも在り来たりで不発。果ては終盤に突然“現代の場面”を挿入してヘス所長の当惑を象徴的に扱ったりと、何やら“底が割れる”ような組み立て方で、あまり良い気持ちはしない。

 監督のジョナサン・グレイザーの作品は初めて観るが、元々はCM作成やミュージック・ビデオのディレクターとして名を馳せた人物らしい。そのせいか、主題よりも映像的ギミックを優先させたようにも思われる。とはいえヘス役のクリスティアン・フリーデルは好演だし、妻のヘートヴィヒに扮するサンドラ・ヒュラーは「落下の解剖学」(2023年)よりも存在感はあった。それらは評価したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「碁盤斬り」

2024-06-15 06:25:27 | 映画の感想(か行)
 本格時代劇らしい雰囲気は良く出ていた。各キャストのパフォーマンスも申し分ない。しかし、脚本の練り上げが足りない。加えて、この監督の持ち味が十分に発揮されたとも思えない。全体的に、TVシリーズの総集編のような印象を受ける。ただ客の入りは悪くないようで、多くの観客が日本映画に対して抱く期待感は“この程度”でクリアされるのだろう。

 江戸の貧乏長屋で娘のお絹と暮らす浪人の柳田格之進は、実は以前は近江彦根藩の藩士だった。それが身に覚えのない罪を着せられて妻も失い、江戸まで落ち延びてきたのだ。彼は囲碁の達人でもあり、豪商の萬屋源兵衛とは囲碁仲間である。そんなある日、旧知の藩士から冤罪事件の真相を知らされた格之進は復讐を決意し、真犯人を捜すための旅に出る。一方、源兵衛の屋敷から大金が紛失する事件が発生。格之進が疑われることになり、お絹はその金を立て替えるために、自らが犠牲になる道を選ぶ。古典落語の演目「柳田格之進」を基にしたドラマだ。



 温厚で堅実な性格の格之進が、彦根での出来事の顛末を知るに及び、たちまち鬼神の如き様相に変わるあたりは上手いと思う。殺陣の場面は尺は短いものの、けっこう切れ味がある。しかし、どうも筋書きが弱体気味だ。そもそも、商人として抜け目のない源兵衛が、簡単に大金の在処を失念するわけがない。お絹に大金を用立てる女郎屋の主人のお庚も、随分と甘ちゃんな造型だ。さらに言えば、彦根での一件の全貌が明確に説明されていないし、格之進の妻が世を去った背景も曖昧だ。

 監督は白石和彌なので、もっと直裁的でエゲツない描写を繰り出してもおかしくないのだが、どうも及び腰だ。極めつけはラストの処理で、これでは何がどうなったのかも分からない。この続きを連続TVドラマにでもするつもりだろうか。

 ただし、囲碁が重要なモチーフになっているあたりは評価して良い。プロ棋士が監修を務めているだけあって、対局シーンに違和感は無い。特に堅実な棋風の格之進に対し、俗なスタイル連発の源兵衛、そして敵役の柴田兵庫が繰り出す三連星の布石(当時は見かけなかったであろう、攻撃的な戦法)など、よく考えられている。福本淳のカメラによる陰影の濃い画面造型は見応えがあり、主演の草なぎ剛は好演だ。清原果耶に中川大志、市村正親、奥野瑛太、斎藤工、小泉今日子、國村隼など、面子は揃っている。ただ出来の方が斯くの如しなので、手放しの賞賛とは程遠い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゴジラ×コング 新たなる帝国」

2024-05-20 06:07:35 | 映画の感想(か行)
 (原題:GODZILLA x KONG: THE NEW EMPIRE )ワーナー・ブラザース・ピクチャーズによる、ハリウッド版「モンスターバース」シリーズの通算5作目。今回はいつにも増して人間側のドラマは軽量級だが、ひとたび怪獣どもがバトルロワイヤルを始めると、映画のヴォルテージは爆上がりする。もちろん“キャラクターの内面描写が物足りない”という真っ当な観点から作品を批評するカタギの皆さんは不満だろうが(笑)、子供の頃から怪獣映画に馴染んでいた身からすれば、本当に楽しめるシャシンになっている。

 ゴジラとキングコングがメカゴジラの襲来を死闘の末に駆逐してから数年後、未確認生物特務機関“モナーク”は、地下空洞からの謎の波長の電波信号を感知する。“モナーク”の人類言語学者アイリーンは、ポッドキャストのホストであるバーニーと獣医のトラッパー、そして髑髏島の先住民イーウィス族の少女ジアらと共に地下世界へと向かう。コングは地下空洞で同族と巡り合うが、そこで独裁的に権力を振るうスカーキングの攻撃を受ける。一方、ローマのコロッセオをねぐらにしていたゴジラも新たなバトルの勃発を察知して動き出す。



 人間側の面子はキャラが立っていないし、そこにいるだけで存在感を醸し出すようなキャストも見当たらない。一応、アイリーンの養女でもあるジアの出自に関する話が後半展開するものの、大して面白い内容ではない。そもそも“モナーク”にはもっと貫禄のあるメンバーがいるはずだし、たった数人で帰れる公算も少ないミッションに臨む意味も見出せない。

 しかし、画面の真ん中に怪獣たちが陣取るようになると、そんなことはどうでも良くなる。アメリカ映画であるからキングコング中心のエピソードが目立つのはやむを得ず、コングと同族たちとのやり取りを観ていると「猿の惑星」シリーズを思い出してしまうが(笑)、スカーキングが飼っている冷凍怪獣シーモ(アンギラスに似ている ^^;)が暴れ出したり、見事な造型のモスラが登場してくると興趣は増す一方だ。

 地下世界における無重力状態での戦いはまさにアイデア賞もので、スピーディーかつ先の読めない状況には思わず身を乗り出してしまった。舞台を地上に移してからも、ピラミッドやリオデジャネイロのコパカバーナなどの名所旧跡をバックに、怪獣たちの組んずほぐれつの大立ち回りを存分に見せてくれる。前作に続いての登板になるアダム・ウィンガードの演出は、人間ドラマよりもクリーチャーの扱いに興味があるのが丸分かりだ。

 レベッカ・ホールにブライアン・タイリー・ヘンリー、ダン・スティーヴンス、ケイリー・ホトル、アレックス・ファーンズなどの俳優陣には特筆すべきものは無いが、これはこれでOKだろう。なお、私は映画館で平日夕方からの回を鑑賞したのだが、客席を占めていたのは私と同世代ぐらいのオッサンばかり(大笑)。妙に納得してしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゴッドランド GODLAND」

2024-05-18 06:08:12 | 映画の感想(か行)
 (原題:VANSKABTE LAND)映像の喚起力は素晴らしいものがあるが、肝心の映画の中身は密度が低い。物語の設定自体に無理があるし、加えて主人公の造型が説得力を欠く。撮影には2年が費やされ、たぶんそのプロセスも困難を極めたと思われるが、製作時の苦労の度合いは作品の出来に直接影響しないという定説を再確認することになった。

 19世紀後半のアイスランドに、デンマーク国教会の命を受けて布教の旅に赴いた若い牧師ルーカスは、現地の過酷な自然環境と通じない言語、そして慣れない異文化に直面して疲労困憊する。ようやく目的地の村に到着するものの、住民との確執を克服出来る見通しも立たない。やがて彼は、捨て鉢な行動に出る。



 当初、国教会の指令はアイスランドでキリスト教(ルター派)の布教を進め、それを踏まえて年内に教会を建てろというものだったはずだ。ところが、すでに彼の地では教会は建設中であり、ルーカスはその“開館時の担当者”として行っただけなのである。まったくもってこれは、単なる茶番ではないか。

 また、村の者からは“船で来た方がもっと行程は短くて楽だったはず”と言われてしまう。つまりルーカスは早くて安全なルートをあえて拒否して、わざわざ危険な道を選んだのである。しかも、無理に行程を急いだ挙げ句に通訳を事故死させてしまう。そのおかげで彼は難儀するのだが、かくもバカバカしい筋書きには呆れるしかない。

 村に着いてからのルーカスの奇行と住民たちとの軋轢に関しても、観ている側との心情的な接点が存在せず、どうでもいい感想しか持てない。監督のフリーヌル・パルマソンは脚本も担当しているが、その出来映えをチェックするスタッフはいなかったのだろうか。

 とはいえ、マリア・フォン・ハウスボルフのカメラがとらえたアイスランドの大自然は圧巻だ。絶景に次ぐ絶景で、これが果たして地球上の風景なのだろうかと驚くしかない。四隅が丸い変型のスタンダードサイズの画面も効果的だ。しかし、それしか売り物が無いのならば自然の風景のみを紹介したドキュメンタリーでも良かったわけで、ヘタなドラマをそれに載せる必然性など見出せない。

 主演のエリオット・クロセット・ホーブをはじめ、イングバール・E・シーグルズソン、ヴィクトリア・カルメン・ソンネ、ヤコブ・ローマンなどのキャストは熱演だが、その健闘が報われたとは言い難い。なお、似たような設定のドラマとして、私はローランド・ジョフィ監督の「ミッション」(86年)を思い出した。あれも作劇には幾分無理はあったが、全編を覆う強烈な求心力に感じ入ったものだ。もっとも、あれはカトリックの伝道師の話だったので、プロテスタントの聖職者を主人公とした本作とは勝手が違うのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする