(原題:Mommy )登場人物に対して“同情”は出来るが“共感”とは程遠い。だから結果として、作品を評価はしない。聞けば2014年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、監督はまだ20代(89年生まれ)の期待の俊英ということだが、残念ながら今のところ当方にとって何の感銘もインパクトも得られない展開だ。
舞台は“ここではない、どこかの世界のカナダ”で、そこは発達障害の子供を持つ親が経済的・精神的に困窮して養育が不可能になった場合、問答無用で子供を施設に放り込んでも良いという法案が可決・成立している。シングルマザーのダイアンは、ADHD(多動性障害)の15歳の息子スティーヴに手を焼いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/41/ce590bc429cb346e4f64651927f8948e.jpg)
スティーヴは一時たりともジッとしておらず、問題行動ばかりを繰り返し、母親に対しても攻撃的な態度を見せる。右往左往するばかりのダイアンだったが、隣家に住む主婦カイラとの出会いによって状況が少し変わってくる。カイラはもともと教師だが、精神的ストレスから吃音に苦しんで休職中だ。そんな彼女がスティーヴの家庭教師を買って出る。するとスティーヴは落ち着きを見せ、カイラの吃音も快方に向かう。やっと一息つくことが出来たダイアンだが、息子の過去の所業が裁判沙汰になるに及び、再びヘヴィな状況に追いやられていく。
ダイアンは身持ちが悪く、見た目はまるで水商売だ。たまに翻訳やコラム執筆等もこなすインテリのような面もあるが、普段は掃除婦として糊口を凌いでいる。すでに夫は亡く、なりふり構わずに生きていかなければならないのだが、そのシビアな有り様に映画的興趣が感じられないのだ。カメラは彼女に寄っているようで、肝心なところは映しておらず、彼女の窮状が単なるパフォーマンスのように見えてしまう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/66/726d9e7c336a940413d8bbf8446f1987.jpg)
ADHDの何たるかを私はよく知らないが、スティーヴの振る舞いはとても“メンタル障害だから”で済まされるものではないと思う。少なくとも、障害を理由に万引きや放火をやらかして良いという道理はない。単なる性悪のガキにしか見えないのだ。そんな“分かっちゃいるけどやめられない”という態度で自分の首を絞めているような親子を見ても、何の感慨も覚えない。ただ“ああ大変だね”と思うだけ。こんな2人に付き合わされたカイラこそ、いい面の皮だ。
監督のグザヴィエ・ドランはこの若さにしてこれが5作目だという。しかしながら、大向こうを唸らせるような才気は感じない。撮り方が一本調子でメリハリが無い。かと思うと、スクリーンのサイズを不必要に“調整”するという小細工を見せ、こちらは赤面するばかり。
ダイアン役のアンヌ・ドルバル、スティーヴに扮するアントワン=オリビエ・ピロン、カイラを演じるスザンヌ・クレマン、いずれも熱演だが、演出がこの調子なので空回りするばかり。正直、観なくても良い映画だと思った。
舞台は“ここではない、どこかの世界のカナダ”で、そこは発達障害の子供を持つ親が経済的・精神的に困窮して養育が不可能になった場合、問答無用で子供を施設に放り込んでも良いという法案が可決・成立している。シングルマザーのダイアンは、ADHD(多動性障害)の15歳の息子スティーヴに手を焼いていた。
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スティーヴは一時たりともジッとしておらず、問題行動ばかりを繰り返し、母親に対しても攻撃的な態度を見せる。右往左往するばかりのダイアンだったが、隣家に住む主婦カイラとの出会いによって状況が少し変わってくる。カイラはもともと教師だが、精神的ストレスから吃音に苦しんで休職中だ。そんな彼女がスティーヴの家庭教師を買って出る。するとスティーヴは落ち着きを見せ、カイラの吃音も快方に向かう。やっと一息つくことが出来たダイアンだが、息子の過去の所業が裁判沙汰になるに及び、再びヘヴィな状況に追いやられていく。
ダイアンは身持ちが悪く、見た目はまるで水商売だ。たまに翻訳やコラム執筆等もこなすインテリのような面もあるが、普段は掃除婦として糊口を凌いでいる。すでに夫は亡く、なりふり構わずに生きていかなければならないのだが、そのシビアな有り様に映画的興趣が感じられないのだ。カメラは彼女に寄っているようで、肝心なところは映しておらず、彼女の窮状が単なるパフォーマンスのように見えてしまう。
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ADHDの何たるかを私はよく知らないが、スティーヴの振る舞いはとても“メンタル障害だから”で済まされるものではないと思う。少なくとも、障害を理由に万引きや放火をやらかして良いという道理はない。単なる性悪のガキにしか見えないのだ。そんな“分かっちゃいるけどやめられない”という態度で自分の首を絞めているような親子を見ても、何の感慨も覚えない。ただ“ああ大変だね”と思うだけ。こんな2人に付き合わされたカイラこそ、いい面の皮だ。
監督のグザヴィエ・ドランはこの若さにしてこれが5作目だという。しかしながら、大向こうを唸らせるような才気は感じない。撮り方が一本調子でメリハリが無い。かと思うと、スクリーンのサイズを不必要に“調整”するという小細工を見せ、こちらは赤面するばかり。
ダイアン役のアンヌ・ドルバル、スティーヴに扮するアントワン=オリビエ・ピロン、カイラを演じるスザンヌ・クレマン、いずれも熱演だが、演出がこの調子なので空回りするばかり。正直、観なくても良い映画だと思った。