(原題:The Search)第84回アカデミー作品賞受賞作「アーティスト」のミシェル・アザナヴィシウス監督が、今回は題材をガラリと変えて挑む意欲作。前作とはあまりにも趣が異なるシャシンで面食らってしまうが、気勢の上がらないオスカー受賞作よりずっと見応えはある。
99年、ロシア領内で起きたテロを口実に、ロシア軍はチェチェンに侵攻する。ロシア兵に目の前で両親を殺され一時的に声を失った9歳のハジは、姉も殺されたと思い赤ん坊の弟を抱えて逃げ出す。弟を見知らぬ家の前に置いて世話を託した後、一人で街を彷徨うハジは、偶然フランスから人権調査にやって来たEU職員のキャロルに拾われる。彼女の住処に居候することになったハジだが、相変わらず言葉を発することが出来ない。
一方、ロシア在住の若者コーリャは、ひょんなことから官憲に因縁を付けられ、検挙されてしまう。刑務所に入るか、あるいは兵役に就くかという二者択一を迫られ、やむなく陸軍に入隊することを選ぶ。だが、そこでの生活は熾烈を極めるものだった。1947年に作られたフレッド・ジンネマン監督の「山河遥かなり」(私は未見)の再映画化であるが、舞台を第二次大戦下のドイツから現在のチェチェンに移している。
構成がけっこう巧妙だ。ハジとキャロルとの関係性を描く部分がメイン・プロットだが、弟を探してEUの関係機関を訪ね歩くハジの姉のパートと、前述のロシアの若い兵士のエピソードが平行して展開される。これはもちろん多角性を持たせた視点を醸成させるためであり、ジンネマン監督が反戦映画を撮った70年前とは環境がまるで違っていることを強調している。正式な宣戦布告をして交戦状態に移行するという段取りは過去の話になり、今は個々の国や勢力が勝手気ままに自らの利権を求めて武力を行使するカオスな状況にある。
さらに言えば、紛争を監視したり調停するはずの第三者機関においても各構成員の打算や事なかれ主義が横行し、機能不全に陥っている。キャロルはチェチェンでの惨状をEUの会合で必死に訴えるが、マジメに聞いている奴などほとんどいない。手を拱いている間にも、コーリャのようなナイーヴな若者が戦闘マシンとして仕立て上げられ、惨禍は拡大するばかりだ。
ハジとキャロルが心を通わせる過程や、ハジの姉が戦争孤児たちの世話をする場面は心打たれるが、コーリャのエピソードが他の二つのパートに合流するラスト、そして結果として映画全体で“出口なし”の円環を成す構図が提示されれば、まさに慄然とするしかない。
キャロルに扮するベレニス・ベジョは好演で、「アーティスト」の時より遥かに魅力的に撮られている。一筋縄ではいかないEUの現地責任者を演じるアネット・ベニングも貫録のパフォーマンスだ。セットを使わずロケーション主体での撮影も効果満点で、これは観る価値のある映画だと言いたい。