(英題:The Tribe )アイデア倒れの映画であり、観ていて馬鹿らしくなる。褒めている評論家もいるようだが、小手先のギミックに目がくらんで作品自体の論評を放棄したような粗忽者と言うべきだろう。聞けば第67回カンヌ国際映画祭の批評家週間で賞を獲得したらしい。だが、主要アワードの受賞作が良い映画とは限らないことを、今回またしても認識することになった。
ウクライナの地方都市にある全寮制の聾学校に入学したセルゲイ。そこは暴力が日常化した無法地帯であった。学校を支配する組織=族(トライブ)に関わることになったセルゲイだが、次第に頭角を現して重要な“仕事”を任せられるようになる。ところが彼はリーダーの愛人と思しき女生徒アナに恋してしまい、他の連中から痛めつけられる。復讐を誓ったセルゲイは、反撃に出る。
聾唖者ばかり出てくる本作においては、登場人物のいずれもセリフを声に出すことは無い。しかも、字幕さえ省かれている。観客は映像だけでストーリーを追えということなのだろうが、これは明らかにおかしい。なぜなら、出て来る者は全員手話で頻繁に会話しているからだ。
つまりは、本来セリフによってフォローされるはずのストーリーラインが、観る側にとって不用意にマスクされているということであり、これは送り手の独善でしかない。しかも手話に堪能な者が観たならば、作者の“セリフや字幕が存在しない(だから観客は想像力を働かせなければならない)”という企ても一瞬にして雲散霧消してしまう。それだけ底の浅い小細工でしかないのだ。同じく聴覚障害者を扱った北野武監督の「あの夏、いちばん静かな海。」(91年)の志の高さと比べると、児戯にも等しいレベルでしかない。
そして、セリフや字幕がネグレクトされていることを差し引いても、作劇は随分といい加減である。学園ドラマには不可欠の、教師が介在するシーンは極小。授業の場面なんか、ほんの一部しかない。ただ漫然と描かれるのは、若造どもが勝手気ままに悪事を働くシーンのみ。大っぴらに売春が行われていることも提示されるが、どうしてこんなことが可能なのか説明は一切なし。そもそも、寮で男子部屋と女子部屋が同じフロアに存在しているという設定からして噴飯ものだ。
演出にはメリハリが全くなく、各シークエンスが無駄に長い。始まって30分もしないうちに、眠気が襲ってきた。監督はミロスラブ・スラボシュピツキーなる人物だが、腕前は三流以下である。唯一感心したのが、小奇麗なポスターの上に踊っている惹句の数々(笑)。一つ一つ見てみると大きな間違いは無いようだが、内容を巧みに糊塗するような言葉の選び方に、配給会社の苦労が想像できる。