元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ジョーカー」

2019-11-03 06:25:18 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JOKER )有り体に言ってしまえば、これはマーティン・スコセッシ監督の代表作「タクシードライバー」(76年)の劣化版だろう。本作の主人公も、ニューヨークの孤独なタクシー運転手同様に向う見ずな暴力行為に走るが、終盤には“支持”を得てしまう。だが、キャラクター設定と背景の描き方には、それこそ天と地ほどの違いがある。このことを“所詮アメコミの映画化だから、細かいことは言いっこなし”などと片付けてはならない。いやしくも第76回ヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得し、アカデミー賞も狙えるという世評は確定している以上、正面からの批評に曝されるのは当然のことだ。

 ゴッサム・シティの片隅に住むアーサー・フレックは、メンタル障害に悩みながらも、コメディアンとして世に出ることを夢見ていた。母親との2人の暮らしを大道芸人として支えているが、周囲からは冷たい反応が返ってくるのみ。さらに、無責任な同僚から手渡された護身用の銃によって仕事場でトラブルが発生し、仕事を失ってしまう。



 追い詰められたアーサーは、地下鉄内で横暴な証券マンたちを射殺したのを皮切りに、次々と犯罪行為に手を染める。そんなある日、テレビのトークショーの名物司会者マレー・フランクリンから出演の打診を受ける。アーサーはピエロメイクのキャラクター“ジョーカー”として、番組に出ることを承諾する。

 言うまでもなくジョーカーは「バットマン」シリーズの悪役であるが、映画版の「バットマン」における底の浅い世界観に呼応するかのように、この映画の造形も薄っぺらい。どうしてジョーカーが世間を揺るがすような大悪党になったのか、なぜカリスマ的な魅力を発するに至ったのか、本作は全然説明していない。アーサーの不幸な生い立ちや、彼が引き起こす突発的な犯罪だけでは、とてもカバー出来るような話ではないのだ。

 ジョーカーの存在が大きくクローズアップされるためには、それを受け入れる社会的状況を詳説する必要があるが、それがスッポリ抜けている。そもそも舞台が架空の都市であり、この状況でリアリティを感じろと言われても無理な注文だ、対して「タクシードライバー」にはベトナム戦争後の不穏な世相や、ニューヨークの混沌とした雰囲気が、主人公の言動にドラマ的な正当性を与えていた。

 奇しくもマレー役として出演しているのは「タクシードライバー」の主役だったロバート・デ・ニーロである。テレビ番組におけるアーサーとマレーの対話を通して、現実と非現実の乖離を焙り出して欲しかったが、両者の会話は突如打ち切られてしまう。「バットマン」ゆかりのウェイン家との関係も示されるが、まるで取って付けたようだ。

 トッド・フィリップスの演出は、可もなく不可も無し。主演のホアキン・フェニックスのパフォーマンスは大したものだが、今までの彼の業績を見れば、取り立てて高評価できるような演技でもない。他のキャストにも目立った面子は見当たらない。正直、個人的には観る価値を見い出せない映画だった。
コメント
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