(原題:Fedora)78年作品。ビリー・ワイルダー監督が晩年近くに撮った映画だが、同監督の全盛期はとうの昔に過ぎていて、本作もヴォルテージの高さはあまり感じられない。ただし、ミステリー映画としてはそこそこ良く出来ていて、期待せずに観れば退屈せずにエンドマークまで画面に対峙できる。ただ、そのことより封切当時(日本公開は80年)における評論家筋の熱狂的ともいえる高評価の方に興味を覚える。
映画プロデューサーのバリー・デトワイラーは、一冊の脚本を手にギリシアの小さな島に降り立つ。彼は引退した伝説の大女優フェドーラをカムバックさせるために、彼女の別荘を訪れたのだ。バリーは面会を求めるも、秘書のミス・バルフォアーと伯爵夫人によって拒まれてしまう。ところが、彼は偶然に買い物に行くフェドーラを目撃。バリーは怒濤のアプローチで彼女を口説き落とし、ついにスクリーン復帰を承諾させる。順調にクランクインまでこぎ着けたが、なんと彼女は共演のマイケル・ヨークに恋してしまう。映画業界の内幕を描く、トマス・トライオンによる小説の映画化だ。
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謎めいた往年の大女優と、彼女を取り巻く一癖ありそうな面々。そして海千山千のハリウッド人種たちの跳梁跋扈。そして終盤に明かされる、思いがけないフェドーラの秘密。訴求力の高いモチーフが散りばめられ、映画好きならば楽しめる仕掛けが講じられている。だが、この映画を褒めそやした評論家たちの“思い入れ”は尋常ではなかったらしい。彼らは言う。やれ“ハリウッドの鎮魂歌”だの“モデルはグレタ・ガルボか”だの“ビリー・ワイルダー作品の集大成”だのといった、諸手を挙げての高評価が飛び交っていたとか。
しかしながら、どうも彼らはハリウッドとは“魔術と伝説の場所”であると思い込んでいたらしいのだ。煌びやかな黄金時代のハリウッドの作品群に囲まれた青春時代を送っていた彼らは、この映画のようにシビアな業界の実態を見せつけられると、大いなる衝撃を受けて“さすがビリー・ワイルダーだ!”といった具合で絶賛したのだろう。
バリーを演じるウィリアム・ホールデンをはじめ、ホセ・ファーラーにヘンリー・フォンダ、マイケル・ヨーク(本人役で登場)、そしてフェドーラに扮したマルト・ケラーなど、キャストは皆好演で“華”がある。ゲリー・フィッシャーによる撮影と、ミクロス・ローザの音楽については言うことなしだ。ただし、この邦題はいただけない(似たような題名の映画が多いし、1959年製作の同じ邦題の映画もある)。もっと気の利いたタイトルを考え付かなかったのだろうか。
映画プロデューサーのバリー・デトワイラーは、一冊の脚本を手にギリシアの小さな島に降り立つ。彼は引退した伝説の大女優フェドーラをカムバックさせるために、彼女の別荘を訪れたのだ。バリーは面会を求めるも、秘書のミス・バルフォアーと伯爵夫人によって拒まれてしまう。ところが、彼は偶然に買い物に行くフェドーラを目撃。バリーは怒濤のアプローチで彼女を口説き落とし、ついにスクリーン復帰を承諾させる。順調にクランクインまでこぎ着けたが、なんと彼女は共演のマイケル・ヨークに恋してしまう。映画業界の内幕を描く、トマス・トライオンによる小説の映画化だ。
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謎めいた往年の大女優と、彼女を取り巻く一癖ありそうな面々。そして海千山千のハリウッド人種たちの跳梁跋扈。そして終盤に明かされる、思いがけないフェドーラの秘密。訴求力の高いモチーフが散りばめられ、映画好きならば楽しめる仕掛けが講じられている。だが、この映画を褒めそやした評論家たちの“思い入れ”は尋常ではなかったらしい。彼らは言う。やれ“ハリウッドの鎮魂歌”だの“モデルはグレタ・ガルボか”だの“ビリー・ワイルダー作品の集大成”だのといった、諸手を挙げての高評価が飛び交っていたとか。
しかしながら、どうも彼らはハリウッドとは“魔術と伝説の場所”であると思い込んでいたらしいのだ。煌びやかな黄金時代のハリウッドの作品群に囲まれた青春時代を送っていた彼らは、この映画のようにシビアな業界の実態を見せつけられると、大いなる衝撃を受けて“さすがビリー・ワイルダーだ!”といった具合で絶賛したのだろう。
バリーを演じるウィリアム・ホールデンをはじめ、ホセ・ファーラーにヘンリー・フォンダ、マイケル・ヨーク(本人役で登場)、そしてフェドーラに扮したマルト・ケラーなど、キャストは皆好演で“華”がある。ゲリー・フィッシャーによる撮影と、ミクロス・ローザの音楽については言うことなしだ。ただし、この邦題はいただけない(似たような題名の映画が多いし、1959年製作の同じ邦題の映画もある)。もっと気の利いたタイトルを考え付かなかったのだろうか。