(原題:MAJOR DUNDEE)1965年作品。過激なバイオレンス描写で有名なサム・ペキンパー監督の手によるシャシンながら、ここではエゲツない暴力場面は出てこない。この監督の“真価”が発揮され始めるのは「ワイルドバンチ」(1969年)あたりからだろう。とはいえ、元々彼はテレビの西部劇のディレクターとして実績を積んでいたこともあり、本作も手堅い出来と言える。
南北戦争時の1864年、メキシコ国境近くの北軍第五騎兵隊の駐屯地が、狂暴なアパッチの族長チャリバの奇襲を受けて全滅する。指揮官のエイモス・ダンディー少佐は早速討伐に乗り出すのだが、手勢は少ない。そこで犯罪者や南軍の捕虜や脱走兵を討伐軍に加えるという、思い切った手段に出る。ダンディーはかつての友人で南軍大尉のタイリーンを副官に任命しようとしたが、戦前にこの2人の間には確執があった。何とか“チャリパを片付けるまで”という条件付きでタイリーンを説き伏せるのだが、敵はならず者のアパッチだけではなく、当時北軍と対立していたフランス軍も彼らの前に立ち塞がる。
まず、成り行きとはいえ南北両軍が共同して敵に対峙するという設定が面白い。加えて、主人公と南軍の将校との、過去の遺恨が絡んでくる。結果として、いつ討伐軍が空中分解するか分からないといったサスペンスが醸成される。もちろん、アパッチによるゲリラ攻撃も厄介で、ダンディー少佐の苦労は絶えない。そこでメキシコの現地住民との交流や、主人公と地元の女医とのロマンスなどが“息抜き”のような扱いで挿入されるのには苦笑した。徹底してハードな展開で追い込む方がドラマとして盛り上がるのは確かだが、この時期のプログラム・ピクチュアとしては、こういう緩い作劇もアリかと納得してしまった。
戦闘シーンはペキンパー御大らしく手抜きが無い。特に、フランス軍に挟み撃ちにされた討伐軍が決死の突破を図るシークエンスは盛り上がる。主演はチャールトン・ヘストンで、史劇やSF大作の主役の印象が強い彼だが、この頃までは西部劇にもよく顔を出していた。タイリーンに扮するリチャード・ハリスは儲け役で、ヘストンより目立っていたかもしれない(笑)。ジェームズ・コバーンにウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン等、脇の面子も濃い。ヒロイン役のセンタ・バーガーは当時はセクシーさで売れていたらしく、本作でもその魅力を発揮している。
南北戦争時の1864年、メキシコ国境近くの北軍第五騎兵隊の駐屯地が、狂暴なアパッチの族長チャリバの奇襲を受けて全滅する。指揮官のエイモス・ダンディー少佐は早速討伐に乗り出すのだが、手勢は少ない。そこで犯罪者や南軍の捕虜や脱走兵を討伐軍に加えるという、思い切った手段に出る。ダンディーはかつての友人で南軍大尉のタイリーンを副官に任命しようとしたが、戦前にこの2人の間には確執があった。何とか“チャリパを片付けるまで”という条件付きでタイリーンを説き伏せるのだが、敵はならず者のアパッチだけではなく、当時北軍と対立していたフランス軍も彼らの前に立ち塞がる。
まず、成り行きとはいえ南北両軍が共同して敵に対峙するという設定が面白い。加えて、主人公と南軍の将校との、過去の遺恨が絡んでくる。結果として、いつ討伐軍が空中分解するか分からないといったサスペンスが醸成される。もちろん、アパッチによるゲリラ攻撃も厄介で、ダンディー少佐の苦労は絶えない。そこでメキシコの現地住民との交流や、主人公と地元の女医とのロマンスなどが“息抜き”のような扱いで挿入されるのには苦笑した。徹底してハードな展開で追い込む方がドラマとして盛り上がるのは確かだが、この時期のプログラム・ピクチュアとしては、こういう緩い作劇もアリかと納得してしまった。
戦闘シーンはペキンパー御大らしく手抜きが無い。特に、フランス軍に挟み撃ちにされた討伐軍が決死の突破を図るシークエンスは盛り上がる。主演はチャールトン・ヘストンで、史劇やSF大作の主役の印象が強い彼だが、この頃までは西部劇にもよく顔を出していた。タイリーンに扮するリチャード・ハリスは儲け役で、ヘストンより目立っていたかもしれない(笑)。ジェームズ・コバーンにウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン等、脇の面子も濃い。ヒロイン役のセンタ・バーガーは当時はセクシーさで売れていたらしく、本作でもその魅力を発揮している。