元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ヒーローマニア -生活-」

2016-05-14 06:26:11 | 映画の感想(は行)

 面白くなりそうなネタは扱っているが、如何せん作り手の技量が限りなく低レベルで、つまらない出来に終わっている。今の日本映画界には、いくら原作が漫画とはいえ話が荒唐無稽だからいい加減に作っても良いと勘違いしている手合いが存在することを、改めて痛感する。

 会社をリストラされ、コンビニのバイトで糊口を凌いている中津は、ある日卓越した身体能力を持つニートで下着泥棒の土志田と出会う。日頃から街の治安の悪化を苦々しく思っていた中津は、土志田と組んで自警団を作ることを提案。そこに情報収集力抜群の女子高生・カオリと、昼は定年間近のサラリーマンで夜は不良を痛めつける“若者殴り魔”の日下が加わり、街の悪党どもに天誅を下すようになる。

 やがて、彼らの行動を見ていたホームレスの宇野が会社組織にすることを提案。低料金で警備を請け負う“ともしび総合警備保障”を設立して業績を伸ばすが、大きくなった会社は次第に利益を最優先するようになり、中津たちの居場所が失われていく。一方、街では通り魔事件が頻発。どうやら、この背後に宇野が暗躍しているらしい。福満しげゆきの代表作「生活【完全版】」(私は未読)の映画化だ。

 素人がヒーローを気取って悪を懲らしめていくうちにシャレにならない修羅場に突入するという設定は、マシュー・ヴォーン監督の「キック・アス」(2010年)でも扱われていたが、本作ではその行為が“法人化”されるのが目新しい。ここを突き詰めて描けばそれなりの実績をあげたはずだが、脚本と演出がド下手であるため完全に不発である。

 とにかく舞台になる架空の街・堂堂町の造形が目も当てられないほど安っぽく、そこに集まる連中も呆れるほどチャラい。こんなスカスカの空間で主人公たちがいくら奮闘しても、リアリティのカケラも創出できないのだ。筋書きが絵空事だからこそ、仕掛けは合理的でなければならないのだが、作者はそのあたりが全然分かっていないと見える。

 そもそも“ともしび総合警備保障”が宇野によって牛耳られていく過程は作劇の核になるべき部分なのだが、完全スルーである。さらに終盤明かされる通り魔の正体に至っては、救いがなさ過ぎるのではないか。これではカタルシスは醸成されない。

 豊島圭介の演出は酒でも入っていたかと思われるほどグタグダでキレもコクもなく、テレビの三流コント番組並だ。中津に扮する東出昌大は相変わらず演技がぎこちない。さすが“朝ドラ大根三銃士”の一人だ(ちなみにあとの2人は山崎賢人と福士蒼汰である ^^;)。土志田を演じる窪田正孝とカオリ役の小松菜奈、日下に扮する片岡鶴太郎はまあ頑張っていて、宇野役の船越英一郎も変態ぶりを見せつけていたが、それだけでは映画の出来を挽回するには及ばない。観る必要の無いシャシンである。
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平戸に行ってみた。

2016-05-13 06:28:02 | その他
 日帰りで長崎県平戸市に行ってきた。私は長崎市に住んでいたことがあり、また出張などでよく長崎県内に足を運ぶ機会があるのだが、平戸を訪れたのは初めてだ。同市は県北部の北松浦半島の北西端の地域および同半島と平戸瀬戸を挟んで西向かいにある平戸島などを主な市域にしており、古くから大陸やヨーロッパとの交易で栄えていた土地だ。



 しかしながら、隣接している佐世保市などに比べれば知名度は低い。ちなみに、取引先の若い社員連中(すべて九州出身)は名前すら聞いたことが無いと言っていた(爆)。そんな地味な(?)スポットにどうして行く気になったのかというと、同市の田平町にある田平天主堂が世界遺産候補になったからだ。もしも世界遺産に登録されると観光客でごった返すのはほぼ確実で、今のうちに見ておこうと思った次第である。

 国の重要文化財でもあるこの建物は、やはり噂通り立派なものだった。大正時代に建てられたロマネスク様式の荘厳な赤レンガづくりの教会は、近くで見ると圧倒的な存在感がある。中に入ると色鮮やかなステンドグラスが出迎え、壁面や天井には凝った意匠が施されている。また教会の傍らには、歴代の信者が眠る十字架が立ち並ぶ墓地があり、このエリア一帯は異国の雰囲気を強く感じさせる。まるで映画のセットのようだ。



 平戸大橋を渡って平戸島に入ると、平戸城やザビエル記念教会、オランダ商館などの観光スポットが点在する。その数とクォリティを考えると、九州内においても見逃せない観光地の一つであると思うが、PRが不足しているせいかあまり知られていないのは残念だ。

 なお、同市は“ふるさと納税”の資金調達額が大きいらしい。確かに海に囲まれたこの地では海産物が豊富であり、返礼品の質の高さが期待できる。私も機会があればこの制度を利用したい。
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「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」

2016-05-09 06:28:18 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Captain America:Civil War )設定が実に興味深い。最近ヒーローの頭数ばかりが増えてきたアメコミの映画化作品群の中にあって、新味を出すために仲間同士の内ゲバをやらかそうという思い切った手法を採用。聞けばこれは原作に網羅されているネタらしいが、映画としてはあまり前例の無い試みで、かなり盛り上がる。

 基本的なストーリーは2015年に公開された「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」の続編という形を取る。アベンジャーズは幾度も世界を救ってきたが、その代償として各地に深刻なダメージをもたらしていた。折しも某国でのテロリストとの戦いにおいて、多数の一般市民が巻き添えになるという事件が発生。業を煮やした各国首脳は、アベンジャーズを国連の監視下に置くことを決定する。



 アイアンマンことトニー・スタークはその提案を受け入れる意向を示すが、キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャースは、かつての自分の経験により公的組織自体を全く信用しておらず、組織の合議を待つよりも自らの正義感や愛国心でいち早く動くことが最重要事項だと思っている。アベンジャーズの各メンバーはそれぞれの考えに基づきこの2人のどちらかに付くことになるが、そんな時、ウィンター・ソルジャーことバッキー・バーンズの過去に関する秘密が明るみになり、それをきっかけに“2大派閥”の対立は決定的なものになる。

 秀逸なのは“いずれは強大な敵が現れて、この派閥間闘争は棚上げになるだろう”という大方の予想を完全に裏切っていること。内ゲバの仕掛け人は一応存在するが、バックに大物が控えているわけではない。それどころか、当人にも同情すべき点はあったりする。とにかく“2大派閥”は何らかの妥協点を見つけるために、徹底的に戦い抜くのだ。しかもその背景には、責任の所在を組織に置くのか特定の指導者に置くのかという、古くから取り沙汰される重要な命題が存在しており、一筋縄ではいかない様相を示している。



 前作に続いてメガホンをとったアンソニーとジョーのルッソ兄弟は、今回も賑々しくアクションを展開。登場するヒーローの数は「アベンジャーズ」の第一作(2012年)に比べて約2倍になり、さらにはスパイダーマンやアントマン等の“他シリーズからの参入”もあってヘタすれば収拾がつかなくなるところを上手く交通整理し、なおかつ見せ場を各個人に用意しているという要領の良さを見せつける。

 ロバート・ダウニー・Jr.やクリス・エヴァンス、スカーレット・ヨハンソン、ジェレミー・レナーら御馴染みのキャストは言うに及ばず、ドン・チードルやチャドウィック・ボーズマンらの新顔に至るまで、楽しそうに演じているのが見て取れる。

 ただ、先日観た「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」ほどではないか、一見さんの観客は置いて行かれる傾向にあるのは仕方がない。前作までの“予習”が必要だろう。なお、スパイダーマンに扮するトム・ホランドは軽量級に過ぎる(笑)。新シリーズでは存在感を発揮してほしいものだ。
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「第13回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その2)

2016-05-08 06:25:56 | プア・オーディオへの招待
 前回のアーティクルではこのイベントに対する苦言に終始してしまったが、あまりネガティヴなことばかり書くのも何なので、印象に残った製品について述べてみたい。

 英国KEF社が昨年(2015年)リリースしたスピーカーBlade Twoは、同社の旗艦モデルBladeをダウンサイズしたモデルで、今回初めて聴くことが出来た。同じ部屋では英国B&W社の800シリーズが別の時間帯に横綱相撲みたいな立派な音を聴かせていたが、Blade Twoはそれらとは全く違うアプローチながらリスナーに対する高い訴求力を獲得している。



 とにかく、音場の展開(特に横方向)には目を見張らされる。まあ、側面にもユニットが付いているので当然といえば当然なのだが、正面を向いている中高域ユニットとの連携が上手くいっており、これ見よがしの広がり感を強調するのではなく自然なタッチを実現しているのが素晴らしい。

 もちろん、同機の真価を発揮させるには広いリスニングルームが必要で、270万円という価格も考えると、一般ピープルが手を出せるシロモノではない。だが、特異なスタイリングも含めて、かなりの存在感を示すスピーカーだと思う。

 英国Q Acoustics社のスピーカーConcept 40 Jの価格はペア約28万円で、一般の認識からすれば安いとは言えないのだが、数百万円の機器がゴロゴロしている会場内でこういう価格帯の製品を見つけるとホッとする。なお、私は同社の製品を聴くのは初めてだ。



 出てくる音は、実に“普通”である。びっくりするような特徴は無い。しかし、聴いていて安心できるサウンドだ。帯域バランスや解像度、音色の明るさは十分に確保されており、鳴らすジャンルも選ばない。通常の音楽ファンならばこういうモデルが“最終回答”にはふさわしく、末永く使えるのではないかと思う。トールボーイ型だが、重量が小さくて移動が楽である点も見逃せない。

 前回のフェアでも注目された、DS Audioの光カートリッジの新モデルも展示されていた。他社の同クラスのカートリッジとの比較試聴が出来ないため、この製品がどの程度の音質的優位性を兼ね備えているのか分からないが、その革新的な技術は評価されよう。

 なお、最近のトレンド(?)を反映してか、今回もレコードプレーヤーの展示が目立った。とはいえ百万円超の製品が中心で、購入対象にする者はごくわずかだろう。ただし、申し訳程度に比較的安価な(とは言っても10万円台)のレコードプレーヤーも何台か並べられてはいたが、いずれも作りが安っぽいのにはガッカリ。昔は10万円も出せば音も見た目も立派なプレーヤーが手に入ったものだが、需要が限られている現在は仕方が無いのかもしれない。普段は中古品は奨めない私だが、レコードプレーヤーに限れば、状態の良い中古品も有力な選択肢になり得ると思う。

(この項おわり)
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「第13回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その1)

2016-05-07 06:20:18 | プア・オーディオへの招待
 去る4月29日から5月1日にかけて、福岡市博多区石城にある福岡国際会議場で開催された「九州ハイエンドオーディオフェア」に行ってきた。このイベントは3月末に行われることが多いのだが、今回はちょうどその時分に他の地区でオーディオフェアが開催されていたためか、大型連休中に開かれる運びになったらしい。

 ただし内容は低調だった。出品数が少なく、目玉になるようなイベントも無い。評論家を招いての試聴会は行われていたが、紹介されていた機種は他の時間帯にも聴けるものだったので、あえて参加する必要性は感じなかった。



 そして何より気になったのは、入場者数がかなり減ったと思われたことだ。もっとも前回・前々回からその傾向はあった。しかし行楽に出かけている層が多い連休中に開催時期を持ってきた今回は、それが一気に表面化したと言える。その理由はいろいろと考えられるが、個人的な意見としてはハイエンドオーディオの購入者自体が数を減らしていることが考えられる。

 数年前のフェアで“我々は、経済的にゆとりがある団塊世代をターゲットに商売を行っていきます”と堂々と宣言していたメーカーもあったが、現在はこの世代が現役を退いてからすでに6,7年は経っているのだ。退職金などを元手に長年のあこがれの的であったハイエンド機を購入した者は多いのだろうが、その需要はすでに一巡したと考えるのが自然である。もちろん今後は買い換え需要が発生することは否定できない。しかし、年金生活に入った彼らにとって、自由に使える金は少ない。しかも、すでに耳が遠くなってきた者もいると思われる(苦笑)。グレードアップなんか、そう簡単に出来るものではない。

 現在のハイエンドオーディオは一部の金持ち(正確に言うと“一部の金持ちの、そのまた一部”)にしか売れないシロモノに成り下がっているのだと思う。そんな市場の状況に気が付かないのか、相も変わらず会場には一千万円超のシステムが漫然と並べられている。

 少し前に、某ディーラーのスタッフがこのイベントについて“あんな高いものばかり展示して、何か意味があるんでしょうかね。いくら良いと思っても、おいそれと「購入を検討します」なんて言えるはずもないです”と冷ややかに語っているのを聞いたが、当人にとって他店の催し物であることを差し引いても、正鵠を射たコメントだと思う。



 ちなみに、会場では高齢の入場者がメーカーや代理店の担当者に食って掛かったり皮肉を言う場面を何度か目撃した。いわく“アンタ達は数百万円のプレーヤーがリーズナブルプライスだと説明するが、これのどこがリーズナブルな価格なんだ! 普通のサラリーマンや年金生活者が買える値段なのか!”といった具合だ。

 購入層が縮小していく超高額商品ばかりを、送り手があたかも“これがオーディオの本流だ”みたいなノリで紹介しても、市場の状況は何ら好転しないどころか、自らの商売もジリ貧になるばかりだ。市場を拡大させる努力を怠っている業界に明日は無い。

 余談だが、同じビルで若者を多く集めたイベント(おそらくアニメか漫画に関するもの)が開催されていた。ここで利に聡い経営者ならば“絶好のチャンス”とばかりにアライアンスを仕掛けるはずだ。たとえば“アニソンをもっと良い音で聴こう”みたいな宣伝文句をブチあげて(笑)、アニメや漫画の催し物に足を運んだ若い衆をオーディオフェア会場にも引きずり込むような施策を打ち出せば、そのうちの一部はピュア・オーディオに興味を持ってくれるかもしれない。しかしながら、オーディオフェアの主催側はそんな能動的なマーケティングを仕掛けることを考えもしていないようだ。

 ともあれ、(前にも書いたが)本当に必要なのは“ハイエンドフェア”ではなく“ローエンドフェア”なのである。まずは入手しやすいものを紹介することから始めないと、顧客の増加には繋がらない。

(この項つづく)
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「レヴェナント:蘇えりし者」

2016-05-06 06:23:06 | 映画の感想(ら行)

 (原題:The Revenant)本作で念願のオスカーを獲得したレオナルド・ディカプリオの演技は、確かに見応えがある。また、エマニュエル・ルベツキのカメラが捉えた厳しくも美しい自然の風景は、高く評価されてしかるべきだ。しかし、その2点を除けばこの映画は大して上等だとは思えない。無駄に長い上映時間も含めて、マイナス要因が多すぎる。

 1823年、西部開拓時代のアメリカ北西部。極寒の中で毛皮を採取しようとした狩猟チームはインディアンの襲撃を受けて、多数の犠牲者を出しながらも命からがら船に乗り込み、川を下る。その中のひとりで道案内役のヒュー・グラスは、ネイティヴアメリカンの妻との間にできた息子のホークを連れて参加していた。船を捨てて山に入った一行だが、見回りに行ったグラスは熊に襲われ、瀕死の重傷を負う。彼らは何とかグラスを運ぼうとするが、足手まといになることは確実。隊長のアンドリュー・ヘンリーはグラスの最期を見届けて埋葬するためにホークとジョン・フィッツジェラルドそして若いジム・ブリッジャーを残し、軍基地への行程を急ぐ。

 ジョンはグラスを亡き者にしようとするが、その現場をホークに見つかり、彼を殺してしまう。ジョンは事実を知らないジムをだましてグラスに軽く土をかけただけでその場を離れる。息子の死の一部始終を見ていたグラスは危篤状態だと思われたが、奇跡的に一命をとりとめ、傷ついた身体を引きずりながらジョンを追う。実話に基づくマイケル・パンクの小説の映画化だ。

 あの時代にロクな治療も受けられず、山中に放置された重傷者が生還するとは俄かに信じがたい。それ以前に、グラスが置き去りにされる経緯やホークが殺されるプロセス、ジムがジョンの言い分に疑問を抱くようになるくだりが、何とも無理筋である。

 さらには七転八倒しながら荒野をさまようグラスが、どのようにして回復していくのか、そのあたりがまるで説明不足。常識で考えれば、冷たい土の上で一晩過ごしたり、厳冬の川に飛び込んだりした時点で即あの世行きだと思うのだが、作者は“実話なんだから納得しろ”と言わんばかりの態度を崩さない。

 グラスの過去に関する映像がフラッシュバックとして挿入されるが、これが思わせぶりで何が言いたいのかよく分からず、グラスがいつの間にかネイティヴアメリカンの長老の娘を救っていたという話も御都合主義である。極めつけは、逃げたジョンを終盤追跡するのがグラスとヘンリー隊長の2人だけという点。武装したならず者を追いつめるには、もっと人数を集めるべぎだろう。

 斯様に要領を得ない話を延々と2時間半以上も見せられると、いい加減ウンザリしてくる。もっとコンパクトに要領良く仕上げられなかったのだろうか。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの演出は、形而上的なネタに酔いしれるばかりでテンポが悪い。形振り構わぬ熱演を見せるディカプリオも、何となく宙に浮いた感じになっている。坂本龍一の音楽は可もなく不可も無し。鑑賞後の疲労感は大きかった。
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「ダンシング・ヒーロー」

2016-05-02 06:21:11 | 映画の感想(た行)
 (原題:STRICTLY BALLROOM )92年オーストラリア作品。「ムーラン・ルージュ」(2001年)や「華麗なるギャツビー」(2013年)などで知られるバズ・ラーマン監督のデビュー作にして最良作だ。1時間半の上映時間の中に、娯楽映画の粋が集められており、鑑賞後の満足感は高い。

 規定違反のステップを踏んで連盟から厳重注意を受けた花形ダンサーのスコット(ポール・マーキュリオ)は、パートナーのリズに去られ、パン・パシフィック大会のグランプリ受賞の希望を失う。再起を図るスコットは、ダンス教室の生徒フラン(タラ・モーリス)の家族からスパニッシュ・ダンスを伝授してもらい、大会に臨むのであった。ボールルーム・ダンスの世界を舞台に、ダビデとゴリアテの神話に基づいたストーリーを熱血青春ダンス映画に仕立て上げたー作。



 何といっても題材がバレエでもヒップホップでもなく、社交ダンスだというのが凄い。周防正行監督が「Shall we ダンス?」(96年)でこの素材を取り上げるより前に目を付けたことは評価に値する。何となく年寄り臭い印象がある社交ダンスが、これほどまで映画的興奮を喚起させるとは、まったく知らなかった。やはり何にせよ本気で取り組めば立派に映画になるのである。

 話の展開は定石通り。妨害にもめげず見事に栄冠を勝ち取るラストまで、予定調和以外の何物でもない。ダンス・シーンはもちろん圧巻だ。カッティングの鋭さやカメラアングルの大胆さなど、考えられるだけのケレン味を詰め込んでいてそれが少しもあざとく見えない。公開当時は映画館で観たのだが、クライマックスでは観客席から拍手が巻き起こった。その年の東京国際映画祭のヤングシネマ部門で公開された時はたいへんな騒ぎだったそうで、なるほどと思わせる盛り上がりだ。

 しかし、まっとうなスポ根映画と思わせて、その中に非凡な監督の個性が光る部分が多い。主人公の父親(バリー・オットー)のキャラクターなど実によく考えられているし、対して母親は毒々しいメイクで口やかましく、どこかペドロ・アドモドヴァル映画のヒロインを思わせる。そういえば原色オンリーの色彩感覚もアドモドヴァル風だ。さらに父親の過去を描く回想シーンのデカダンスあふれる独特のミュージカル仕立てになっていて驚かせる。おそらくこのポップ感覚がこの監督の本当の持ち味なのだろうと思わせるが、事実、以後の作品はそれが顕在化する。

 あと関係の無い話だが、オーストラリアにもスペインからの移民が数多くいて、ちゃんと市民権を得ていることを公開当時この映画で初めて知った。
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「スポットライト 世紀のスクープ」

2016-05-01 06:14:40 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Spotlight )全然ピンと来ない映画である。いくら新聞記者を主人公に据えてジャーナリズムの役割を問う骨太な内容であるとはいっても、日本人になじみの薄い宗教ネタ。しかも、扱われている出来事が明るみになった後も、何がどう変わったのかほとんど説明されていない。いきおい“ユダヤ系勢力(ハリウッド)がカトリックを糾弾しただけの映画”というような、穿った見方も真実味を帯びてくる。

 2002年、ボストンの地元紙ボストン・グローブで“スポットライト”と銘打った一面記事を担当しているチームに、新しい編集長が赴任してきた。それは会社がニューヨーク・タイムズ紙に買収されたことによる人事の一環である。彼はカトリック神父の性的児童虐待の実態を取り上げるようにスタッフに指示を出す。

 課員たちは最初乗り気ではなかったのだが、調べていくうちにボストンだけで性的虐待の加害者神父が13人もいることを突き止める。さらに取材を進めると、13人どころじゃなくて90人ぐらい存在するという話になり、しかもその事実をカトリック教会側が組織ぐるみで隠蔽していた疑惑が持ち上がる。記者たちは妨害に遭いながらも精力的に動き、やがてこのスキャンダルの全貌を掴むことに成功する。実話の映画化だ。

 カトリックの神父たちの多くがこのような不祥事を起こし、それを教会側がもみ消したという事実には驚くべきものがある。本来信者たちの心の支えとなるべき聖職者にはあるまじき行為であり、これを暴いた記者たちの活躍は評価されよう。

 しかし、事件が解明されても(当事者達はペナルティを受けたものの)教会側の体制が一新されたとか、バチカンが謝罪したとか、法王の首が飛んだとか、そういう話は聞いたことがない。カトリック教会は相変わらず存在し続け、地域の信者を集めている。グローブ紙としては“組織ぐるみの犯行を暴きたい”と息巻いていたにもかかわらず、事態が根本的に好転したようには、とても見えないのだ。

 映画ではこの事件の背景に神父の採用実態や人事などの問題があったことが述べられるが、それらがどう改善したのかは全然見えない。そもそも、いくらスキャンダルが起こっても教会を心の拠り所にしている地域信者たちの心情さえフォローしていないのだ。

 もちろん、かの国ではそんなことをあえて映画で説明しなくても“周知の事実”として認識されていることも考えられるが、観ているこちらとしては不満が募る。記者たちは奮闘するが、同じく大きな事件に挑む新聞記者の活躍を描いたアラン・J・パクラ監督の「大統領の陰謀」(76年)に比べると、敵の存在がハッキリしていない分、隔靴掻痒の感が否めない。

 トム・マッカーシーの演出は丁寧だが、メリハリに欠けて冗長に感じる部分がある。ひょっとして監督自身がカトリックに対して腰が引けていたのではないかと思うほどだ。マーク・ラファロやマイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、スタンリー・トゥッチらキャストは皆好演で、高柳雅暢のカメラやハワード・ショアの音楽も的確なのだが、それだけでは映画全体を評価するわけにはいかない。

 なお、ニューヨークタイムズはユダヤ人が有する巨大メディアの一つで、映画での新任の編集長もユダヤ系。このネタをボストン・グローブ紙が取り上げるようになったのは、親会社の指示だろう。このあたりも、妙に臭う。
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