元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アナイアレイション 全滅領域」

2020-05-15 06:39:03 | 映画の感想(あ行)
 (原題:ANNIHILATION)2018年2月よりNetflixで配信されたSFホラー。正直言って、大して面白くない。似たような設定の作品は過去にあったし、構成および筋書きにも納得いかない部分が多い。ジェフ・ヴァンダミアによる原作は三部作の長編だということだが(本作は第一部の映画化)、この映画の出来を見る限り、残りが映像化される可能性はさほど高くないと思う。

 軍を退役し、今は生物学の教授として大学に勤務するレナのもとに、1年前の特殊任務に出掛けたまま行方不明になっていた軍人である夫ケインが突然帰還する。しかし彼は記憶が曖昧になっており、突然倒れて救急車に乗せられる。その途中、2人は軍に拘束されて某所にある研究施設に運ばれる。

 そこのスタッフによると、基地の近くでシマーと呼ばれる謎の異世界が広がっており、ケインは偵察隊として仲間と共にシマーの中に入ったものの、彼しか帰って来なかったという。どうやらシマーは宇宙から来た生命エネルギー体のようで、レナはその秘密を探るべく4人の女性科学者と共にシマーに乗り込んでゆく。そこは遺伝子が突然変異を起こす不思議な空間で、レナたちは翻弄される。

 異星からの侵入者によって地球上に謎のエリアが広がり、登場人物たちがそこに入り込んでゆくという設定の映画としては、何といってもアンドレイ・タルコフスキー監督の傑作「ストーカー」(79年)が思い出させる。特殊効果をほとんど使っていないにも関わらず、観る者を慄然とさせるようなSF世界を構築していた。

 しかしながら、この「アナイアレイション」は「ストーカー」の足元にも及ばない。そもそも、このシマーの造型は安っぽい。色彩のセンスも、空間表現も、クリーチャーのデザインも、(金は掛けてはいるのだろうが)B級感が全面展開している。これではセンス・オブ・ワンダーは創出されない。

 そもそも、レナたちのグループはどうして女性ばかりなのか、なぜ中途半端な武装で危険な地域に乗り込むのか、まるで不明。終盤でのレナの行動がどのようなプロセスで“ああいう結末”に繋がるのか、明示も暗示も無し。物語がレナの回想という形で進むのだが(この形式は何となく本多猪四郎監督の「マタンゴ」に似ている)、レナの過去や不倫騒ぎなど、余計なモチーフが散見される。

 アレックス・ガーランドの演出は冗長で、メリハリが欠けたまま漫然と進む。ナタリー・ポートマンにジェニファー・ジェイソン・リー、テッサ・トンプソン、オスカー・アイザックといった顔ぶれも、何やらもったいない感じだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「6アンダーグラウンド」

2020-05-11 06:46:21 | 映画の感想(英数)
 (原題:6 UNDERGROUND )2019年12月よりNetflixで配信。マイケル・ベイ監督による“アクション超大作”がネット配信のみとは、にわかには信じがたい。間違いなく全国一斉拡大ロードショー向けのシャシンだ。まあ、裏の事情みたいなものもあったのかもしれない。ベイ監督は90年代まで活劇路線で名を売ったものの、2007年からは「トランスフォーマー」というファミリー向けのヒットシリーズに手を染めてしまい、彼がここで“本業”に戻るのを周囲が面白く思わなかったとも考えられる(笑)。とはいえ、久々に屈託無く楽しめる好編なのは確かだ。

 ネオジム磁石の開発で成功を収めたアメリカの億万長者(通称:ワン)は、私財を投じて世界中の不穏分子を潰すための武装グループを結成する。各メンバーは表向きは死んだことになるが、代わりに国籍などに縛られずワールドワイドに活動する自由を得る。今回の任務は、中央アジアの国トゥルギスタンの横暴な独裁者ロヴァク・アリを始末し、ロヴァクの弟でリベラル派のムラットを大統領の座に据えることだ。



 フィレンツェでのミッションではロヴァク配下の法務スタッフを片付けることが出来たが、メンバーの一人(通称:シックス)が犠牲になってしまう。ワンはシックスの代わりに元デルタフォースの狙撃手(通称:セブン)をスカウトし、チームは幽閉されているムラットを脱出させるために香港へ向かう。

 冒頭、延々と展開するフィレンツェでのカーチェイスには度肝を抜かれる。投入される物量や、観ていて腹が一杯になるほどのクラッシュ場面の連続に驚きつつも、アクションの段取りは実に良く考えられており、感心するしかない。このシークエンスだけでも本作をチェックする価値がある。

 ベイ監督作品に登場人物の内面描写を期待するのは筋違いだが(笑)、この映画ではワンの微妙な屈託とか、凄腕のヒットマン(通称:スリー)と元CIAの女性工作員(通称:トゥー)との色恋沙汰、セブンの戦時下でのトラウマなど、深くは掘り下げないが要領良くそれぞれのキャラクターを描き込んでおり、ドラマが安っぽくなるのを防いでいる。

 中盤の香港での派手な銃撃戦から、クライマックスのトゥルギスタンでの大暴れまで、嵩に懸かったように見せ場を繰り出すこの監督の力業には感服するしかない。さらに、ワンが開発したネオジム磁石が“大活躍”する終盤の船上での戦いには笑わせてもらった。主演のライアン・レイノルズをはじめ、メラニー・ロラン、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、アドリア・アルホナ、コーリー・ホーキンズ、ベン・ハーディといった顔ぶれも申し分ない。幕切れは続編を匂わせるが、この調子ならばシリーズ化も大丈夫だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オオカミ少女と黒王子」

2020-05-10 06:51:21 | 映画の感想(あ行)

 2016年作品。普段ならば完全に私の守備範囲外のシャシンなのだが(笑)、キャスティングが興味深いので、テレビ画面での鑑賞ながら今回チェックしてみた。結果、この手の壁ドン映画にありがちであろうグダグダの展開にならず、意外にも最後まで観ていられたことに我ながら驚いた。中身がベタでも出ている面子が良好ならば、そこそこの出来にはなるのだと思った次第である。

 高校に入ったばかりの篠原エリカは華々しく“高校デビュー”しようとするが、実は恋愛経験ゼロ。それでも級友たちの前では見栄を張るべく、学校一のモテ男である佐田恭也に“彼氏のフリをしてくれ”と頼み込む。快く引き受けてくれた恭也だが、実は彼は端正なルックスに似合わぬ腹黒でサディスティックな野郎だった。その日からエリカは、交換条件として恭也に絶対服従するハメになる。八田鮎子による同名コミックの映画化だ。

 筋書きはよくある学園ラブストーリーらしい予定調和で、特筆すべきものは無い。前述の通り本作のメインは配役である。エリカを演じているのは、二階堂ふみだ。どう考えてもラブコメとは縁遠い存在でミスキャストだと思ったが、さすがの演技力で役柄を自分のものにしている。特に終盤の独白場面では観ているこちらも引き込まれるものがあった。外見も完全にアイドル仕様でまとめており、こんなにも可愛い女優だったのかと感心する。

 エリカの親友の亜由美に扮しているのが門脇麦というのもポイントが高く、二階堂との会話シーンは演技派同士で安心して観ていられる。また、横浜流星や吉沢亮が脇に控えており、クラスメート役で池田エライザや玉城ティナ、武田玲奈が顔を揃えるというのだから、現時点で考えれば若手俳優のオールスターキャストだ。

 ところが、そんな中にあって恭也を演じる山崎賢人だけが完全に浮いている(大笑)。若手有名男優の中では屈指のアレである彼は、本作でもその“持ち味”を存分に発揮。セリフの抑揚の無さと、何をやっても変わらない表情は相変わらずだ。特に二階堂とは演技スキルが天と地ほども違うので、アバンチュールの場面はほとんどギャグになっている。このあたりはツッコミを入れながら観るのが正しいかもしれない。

 廣木隆一の演出は可も無く不可もナシだが、今回はロングショットと長めのカットの多用が印象的だ。もっとも、俳優の顔をじっくりと拝みたいという若年層の観客にとってどうなのか、ここでは判断しずらい。世武裕子による音楽、たびたび挿入される既成曲の扱いは悪くない。後半の舞台になる、神戸の街の風景は良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「麻薬王」

2020-05-09 06:52:17 | 映画の感想(ま行)

 (英題:THE DRUG KING )2018年作品で、2019年2月よりNetflixで配信された韓国映画。題材は興味深く、キャストも大熱演なのだが、話自体は捻りが無く、どこかで観たようなモチーフも目立つ。もっと脚本を練り直し、良い意味でハッタリを効かせるのが上手い監督を起用すれば、けっこう盛り上がったのではないだろうか。

 70年代初頭の釜山で密貿易の下働きをしていたイ・ドゥサムは、覚醒剤を売りさばく闇ルートに関与することによって、裏社会で頭角を現してくる。台湾から原材料を仕入れ、韓国で製造し、日本の暴力団に流すというビジネスモデルを確立すると共に、それで得た金で各方面に“根回し”を実行。また、表向きには国と地域に貢献する善意の実業家として高い評価を受ける。

 ところが、自分の正体を知る中央情報部の幹部を始末したことがきっかけで、次第に自分がクスリに溺れるようになってしまう。70年代末には韓国の政情は不安定になり、ドゥサムの商売も見通しが暗くなる。一方、麻薬組織撲滅に燃える釜山の地方検事キムは、執拗にドゥサムを追いかけていた。

 事実を元にしたシャシンだということだが、イ・ドゥサムという人物は実在していないし、モデルになった者もいないらしい。当時の不穏な空気の中では、たぶんこんなことも起こり得たのだろう・・・・という憶測で作られたようだ。まあ、それでも面白ければ文句は無いのだが、これがどうにも盛り上がらない。

 成り上がっていくドゥサムは、その行程がどうにも不明瞭かつ御都合主義的だ。偶然に取引の場に居合わせてノウハウを吸収し、何気なくシャブ作りのエキスパートと知り合い、自身もいつの間にかクスリ作りの名人になっている。実業家としての“昼間の顔”をどうやって築き上げたのか不明で、彼の家族関係も詳しく描かれない。

 金子正次監督の「竜二」(83年)の中に“シャブはやるもんじゃなくて、売るものだ”というセリフがあるが、ドゥサムの後ろ向きの運命はその原則を破ったからに過ぎず、別に意外性は無い。クライマックスはブライアン・デ・パルマ監督の「スカーフェイス」(83年)との類似性が指摘されるところだが、インパクトはあれに及ばず。ラストも何だか拍子抜けだ。ウ・ミンホの演出は粘りが足りない。

 しかし、それでも主演のソン・ガンホのパフォーマンスには圧倒される。中盤以降の主人公が自暴自棄になってゆく様子など、凄いとしか言いようがない。ファム・ファタール的な扱いの女に扮したペ・ドゥナも良い。可憐な役が多かった彼女も気が付けば中年に達しており、こういう悪女もさらりと演じられるようになったのは感慨深い。

 検事役のチョ・ジョンソクは“演技の上手い東出昌大”みたいだが(笑)、求心力のある仕事ぶりだ。そして、当時の日本との関係性が強調されているのは面白い。ただし、日本が舞台になったパートは頑張ってはいるが、けっこう珍妙。特に、出てくる札がすべて千円札だったのには苦笑した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村田沙耶香「コンビニ人間」

2020-05-08 06:44:01 | 読書感想文

 第155回芥川龍之介賞受賞作で、とても話題になり好セールスを記録した本だが、私もやっと読んでみた。なるほど、かなり面白い。主人公の造型がユニークであるばかりではなく、そのキャラクター設定の“切り口”が卓越している。また個人と社会との関係性、および両者の間に介在する“越えられない壁”の描出に非凡なものを感じる。読後感は良い。

 主人公の古倉恵子は、36歳の独身女性。結婚したことはなく、恋愛経験すら無い。子供の頃から感情に乏しく、他の人間と上手くコミュニケーションが取れなかった。そんな彼女が大学時代に始めたコンビニのアルバイトが意外にツボにハマり、正社員にならないままバイトの身分で今まで生きてきた。しかし、いい年をして独り者の恵子に対する周囲からのプレッシャーは次第にキツくなる。

 そんな時、彼女はかつての元バイト仲間で、人間のクズみたいな白羽という男と再会する。恋愛感情も無いまま成り行きで彼と同居することになった恵子だが、すると彼女に対する“評価”が一変。一応男と付き合うようになったのだという事実が、彼女が“まともな人間”であったとの周りの認識に繋がり、恵子も満更ではないと感じる。やがて、恵子がコンビニを辞める日がやってきた。

 恵子はモノの考え方が常人とは異なっている、生まれながらのサイコパスである。ところが、彼女がコンビニという極端にシステマティックな媒体と出会うことにより、そこに“同化”してしまう。その着眼点には驚くしかない。

 対する白羽は典型的なロクデナシの落伍者だ。社会の異分子であることは間違いないが、こういうキャラクターは珍しくはない。いわば白羽は旧来型のサイコパスで、恵子はニュータイプのサイコパスだ。もちろん恵子のような性質を持つ者は以前から存在したのかもしれないが、小説として正面から取り上げたことは実に新鮮に見える。

 また、本作は個人と“世間”との隔絶を大きくクローズアップさせる。先天的に他人と異なる“属性”を備えた主人公を、周囲の者はしきりに“治そう”とするのだから滑稽だ。しかも、ちょっと異性と付き合っただけで(本人の内面は変わらないのに)“治った”と合点してしまう。ラストシーンはある意味痛快で、ハッピーエンドとも思えるのだが、本人以外にとってはバッドエンドであるのも面白い。

 関係ないが、恵子のような者は実は社会的に有用だということも言える。彼女は情緒に流されず、いかなる忖度も通用しない。目標を見定めると冷徹かつ合理的に事を進めるだけだ。成功者にはサイコパスが多いという説があるのも、まあ頷ける。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ルディ・レイ・ムーア」

2020-05-04 06:26:47 | 映画の感想(ら行)

 (原題:DOLEMITE IS MY NAME )2019年10月よりNetflixで配信されたコメディ作品。何といっても主演のエディ・マーフィの“復活”が嬉しい。彼は「ドリームガールズ」(2006年)以降あまり目立った仕事は無かったが、久々に手応えのある役を引き寄せたようだ。映画の出来自体も満足すべきもので、鑑賞後の印象は上々である。

 70年代初頭のロスアンジェルス、コメディアンとして世に出ることを夢見ていたルディ・レイ・ムーアだが、現実はレコード屋の店員として糊口を凌ぐ毎日だ。ある日彼は、ホームレスのオッサンの戯言からインスピレーションを受け、下品なネタの速射砲で観衆を圧倒するメソッドを獲得。一躍スタンダップコメディの寵児になり、ライヴもレコードも好調なセールスを記録するようになる。

 ところが、仲間と一緒に映画館でビリー・ワイルダー監督の「フロント・ページ」(74年)を観て、ルディは少なからぬ衝撃を受ける。周りの白人たちは大爆笑しているのに、彼らにはその良さが全く分からないのだ。そこでルディは“黒人が楽しめる映画を作らなければならない”と決意。カネもコネもノウハウも無い彼らだが、多額の借金を背負いながら、果敢に映画製作に挑む。70年代に活躍した、ミュージシャンでコメディアンのルディ・レイ・ムーアを描いた実録映画だ。

 80年代に人気絶頂だった頃のエディ・マーフィは、とにかく“攻め”の姿勢が前面に出ていた。黒人の喜劇役者であることをモノともせず、幅広い観客層に対して“オレ様のジョークは絶対に面白いはずだっ。さあ笑え!”とばかりに、勢いでねじ伏せようとしていた。だが、そんな彼も60歳に手が届く年代になり、スピードもパワーも衰えてきた。本作での彼は、腹の出た冴えないオッサンである。

 しかし、エディは決して無理していないし、焦ってもいない。芽が出ないまま人生の後半戦を迎え、それでもオッサン芸人としての矜持を保ちつつ、年齢相応の夢と希望を持って仲間達と仕事に取り組む主人公像を無条件で受け入れている。このスタンスは素晴らしい。映画の中でルディが一歩ずつ成功への階段を上がるように、エディも「フロント・ページ」の主演のジャック・レモンのような喜劇人からのキャリアアップを見据えているようだ。

 ハッキリ言って、私はルディ・レイ・ムーアという人物は知らなかった。そして劇中で披露する彼のお笑いネタも、どこが面白いのか分からない。しかし、そこが欠点になっているとは思えない。映画はとことんポジティヴに、自分のできる限りのことをやったエンターテイナーの生き様を追うだけだ。それで十分に観客の支持を集められる。

 クレイグ・ブリュワーの演出はソツがなく、スムーズにドラマを進める。ギャグは下ネタ中心ながら、上手い具合に繰り出されており嫌味が無い。ウェズリー・スナイプスにキーガン=マイケル・キー、マイク・エップス、クレイグ・ロビンソン、そしてスヌープ・ドッグといった脇の面子も実に良い味を出している。既成曲(もちろん、当時のブラックミュージック)中心の音楽と、カラフルな衣装デザインも要チェックだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ドライヴ」

2020-05-03 06:31:57 | 映画の感想(た行)

 (原題:DRIVE )2011年作品。スタイリッシュなエクステリアと魅力的な主人公の造型が特徴の、犯罪映画の佳編である。マーティン・スコセッシの「タクシードライバー」(76年)や、ウォルター・ヒルの「ザ・ドライバー」(78年)との類似性が指摘されるかもしれないが、本作独自の美点も存分にフィーチャーされている。

 ロスアンジェルスの裏町に住む主人公の“ドライバー”は、昼間は自動車整備工場に勤め、バイトとして映画のスタントマンを時折引き受けているが、実は犯罪者の逃走を手助けするプロである。ある日、彼は同じアパートに住む若い人妻アイリーンと知り合い、仲良くなる。服役中だった彼女の夫スタンダードはしばらくして出所するが、多額の借金を背負っていた彼はサラ金に押し入ることを債権者から強要されていた。“ドライバー”は彼の逃走をサポートするはずだったが、なぜかスタンダードは逃げる前に射殺されてしまう。どうやら背後で大きな陰謀が進行しているらしく、やがて“ドライバー”にも災厄が降りかかってくる。

 この“ドライバー”のキャラクター設定が絶妙だ。突っ張ったり凄んだりする気配が微塵も無く、淡々と仕事をこなしてゆく。ならば冷徹で愛嬌に欠けるのかというとそうではなく、表情に乏しいながらも感情を露わにするシーンでは内面が観る者に無理なく伝わってくる。実に自然体で好ましいのだ。

 そんなノンシャランな彼が窮地に陥っても、たぶんピンチを脱するだろうとは思うものの、どのようにして乗り切るのか予想出来ない。しかも彼は基本的に銃器類を使わず、金槌だの匕首だのといった“手近な道具”で間に合わせるという意外性を出してくるのだから堪らない。筋書きとしては、仲間だと思っていた奴らが悪党だったり大金の出所がヤバい筋だったりと、いろいろと凝っていて飽きさせない。さらには、アイリーンとの逢瀬もけっこう泣かせるのだ。

 ニコラス・ウィンディング・レフンの演出は相当カッコ付けているが、ケレン味が鼻につく寸前のところで踏み止まっており、これはこれで評価出来る。なお、本作で彼は第64回カンヌ国際映画祭で監督賞に輝いている。主演のライアン・ゴズリングは快調で、甘めのマスクが役柄とアンマッチと思わせて、ロマンティックな味を醸し出すことに成功している。

 アイリーンに扮するキャリー・マリガンは(前にも述べたけど)あまり好きな女優ではないが、ここでは場をわきまえた好演を見せている。ブライアン・クランストンやクリスティーナ・ヘンドリックス、ロン・パールマン、アルバート・ブルックスといった他の面子も良い。ニュートン・トーマス・サイジェルのカメラによる危なっかしいロスの町の風景と、クリフ・マルティネスの音楽も効果的だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「愛なき森で叫べ」

2020-05-02 06:57:31 | 映画の感想(あ行)

 2019年10月よりNetflixで配信された園子温監督作品。椎名桔平扮する主人公のド変態ぶりが光る(笑)。同じ園作品としては、2007年製作の「エクステ」における大杉漣のパフォーマンスに匹敵するほどの怪演だ。しかし、それ以外はどうにもパッとしない。率直に言ってしまえば、これは過去の作品で扱ったモチーフの“二次使用”でしかない。もっと斬新なネタを期待したが、それは叶わなかったようだ。

 1995年、上京したばかりで所在なく路上でギターを爪弾いていた青年シンは、ふとしたことから映画作家志望のジェイとフカミと知り合う。意気投合した彼らは自主映画を作ることになり、仲間の妙子を誘うが、妙子から彼女の友人である美津子が村田丈という怪しい男と付き合っていることを聞き出す。

 村田は見た目がいかにも胡散臭い野郎だが、巧みな話術と大胆な行動で相手を丸め込むという特殊な才能を持っていた。ジェイ達は彼に興味を抱き、村田をモデルに映画を撮ろうとする。一方そのころ、何者かが警官から奪った拳銃で次々と殺人を犯すという、凶悪事件が発生していた。

 実際の事件(今回は2002年に起こった北九州監禁殺人事件)を題材にしているが、これは園作品としては3回目で、目新しさは無い。中盤以降には派手なスプラッタ場面が出てくるが、インパクトにおいて「冷たい熱帯魚」(2010年)にはとても及ばない。さらに残虐描写の段取りも「冷たい熱帯魚」の二番煎じだ。

 映画を撮ろうとする若い連中が出てくるのは「地獄でなぜ悪い」(2013年)で一度使った素材。しかも、扱いは数段ヴォルテージが低い。出てくる女達は皆二面性を持っているが、これは「恋の罪」(2011年)でも起用したモチーフで“何を今さら”という感じだ。もちろん、前に使った方法でも上手く料理すれば問題は無いのだが、組み立て方がチグハグでサマになっていない。

 椎名が演じる村田は確かに圧倒的に目立っているが、映画の中では浮いている。リアリティがゼロで、もちろん一連の事件の首魁になる必然性も無い。実際の事件には出てこないジェイ達映画オタクを無理矢理ドラマの中に押し込んだのも感心せず、なぜ映画なのか、それもどうして村田をモデルにした人物が主役なのか、納得出来る説明は最後まで無い。ラスト付近では一応“オチ”らしきものが付くのだが、それで何かカタルシスを得られるわけでもなく、白々とした空気が流れるのみだ。

 全編に渡って登場人物の内面描写は希薄で、マンガ的なドタバタに終始。加えて、村田以外のキャストは弱体気味だ。満島真之介や真飛聖、でんでんの演技は想定の範囲内に留まっているし、日南響子に鎌滝えり、中屋柚香といった若い女優も魅力に欠ける。以前は園監督は見どころのある若手俳優を次々と発掘して脚光を浴びたものだが、本作にはそういう長所は見当たらず寂しい限りだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トレーニング デイ」

2020-05-01 06:57:36 | 映画の感想(た行)
 (原題:TRAINING DAY)2001年作品。よくあるベテラン刑事と新人刑事とのバディムービーのルーティンを完全無視し、全編これ悪意に満ちたモチーフと暴力性、そしてキャストの健闘により見応えのある作品に仕上がった。さらには一日の出来事に集約するという思い切りの良さ、ロケーションの魅力も光る。

 所轄の交通課からロスアンジェルス市警の麻薬課の刑事に抜擢されたジェイクは、初出勤を迎えて早起きし、遣り手の捜査官アロンゾとコンビを組んでパトロールを開始した。ところが、アロンゾはとんでもない悪徳刑事で、ギャング共とも完全に癒着。彼はジェイクに、これも治安を守るための必要悪だと嘯く。一時はそれも仕方が無いのかと納得したジェイクだが、アロンゾの遣り口は完全に度を超しており、2人は対立し始める。やがて、アロンゾの所業は職務に関係の無い私利私欲のためだったと知るに及び、ジェイクはアロンゾを完全なる敵として認識する。



 最初は仲違いしていた2人が、事件を追う間に互いを理解して絆を深める・・・・といったこの手の映画の常道からは大幅に逸脱し、当初は若い方は理解しようとしていたが、次第に険悪な仲になり終いには激しく対立するという逆のパターンが展開されているのが面白い。しかも、アロンゾは犯罪が蔓延るロスのダウンタウンで強かに生きているという、全身から滲み出る説得力を持っているのが始末に悪い(笑)。

 演じるデンゼル・ワシントンは素晴らしく、それまで“いい人”ばかりを演じていた彼が斯様なワルに扮すると、凄みは幾何級数的にアップする(本作で第74回米アカデミー賞の主演男優賞を獲得)。ジェイク役のイーサン・ホークも好調で、正義感に溢れて新しい職場に飛び込んでみたものの、肝心の上司が超問題人物で手酷く翻弄されるという役柄を、観る者の共感を呼ぶように演じていた。

 アントワン・フークアの演出は彼のフィルモグラフィの中では上位にランクされる仕事ぶりで、一日という時間制限の中に見せ場を次々に織り込み、それらに乱れが無い。後半の銃撃戦から終盤の息が詰まるような対決シーンまで、存分に引っ張ってくれる。

 しかも脇にはドクター・ドレーやスヌープ・ドッグといったラップ勢、そしてスコット・グレンやトム・ベレンジャーといった重鎮まで控えている。本物のストリートギャングの協力を得て実際の“現場”でロケが決行され、臨場感はかなりのものである。マーク・マンシーナの音楽も的確だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする