大聖勝軍寺 八尾市太子堂3-3-16
聖徳太子が建立したといわれる河内三太子のひとつで、「下の太子」または太子堂と呼ばれている。太子町の叡福寺が「上の太子」、羽曳野市の野中寺が「中の太子」
587年、崇仏派の聖徳太子が排仏派の物部守屋との戦いで「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本書紀)と祈願して戦勝したことから、戦後間もなく四天王を祭るための寺院として摂津国難波(大阪市天王寺区)の四天王寺とともに、当寺の太子堂が建立された。
594年、推古天皇より現在の山号と寺号が贈られ、この年が創建年とされる。
756年、聖武上皇から鎮護国家寺の称号を贈られ、勅願寺に定められる。
内陣
太子殿内部
六角堂
一願不動
守屋池
守屋の墓
以下 図録より
四天王立像
境内