阿部野神社 阿倍野区北畠3-7-20 北畠親房公は殊に後醍醐天皇のご信任が厚く、「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸のあとは、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で『神皇正統記』を著した後、吉野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられ多が、正平九年(一三五四)四月十七日、病にて薨じられた。御年六十二歳であった
当神社は、南北朝時代、北畠顕家(あきいえ)と足利軍が戦った古戦場跡地に1882年(明治15年)創建され、北畠親房(ちかふさ)、顕家父子が祀られている
拝殿 青い屋根は台風のため blue sheet
本殿
庫裏
詩歌の道
北畠親房、顕家
旗上稲荷社
旗上稲荷社 拝殿
祖霊社
勲の宮
旗上芸能稲荷社