週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

王陵の谷(南河内郡太子町) 2011.04.10  Archives

2020年06月01日 | 神社仏閣

推古天皇陵  大阪府南河内郡太子町大字山田に ある磯長山田陵  西暦593年、日本最古の女帝として即位。死後、その遺言によって、先に亡くなられた御子、竹田皇子と一緒に葬られたとされている。現在、推古天皇陵と伝えられる御陵は、太子町山田の南端にある東西59メートル、南北55メートルの大方墳です。

 

 

小野妹子の墓
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚がある。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物。妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、池坊流の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されている。 

小野妹子の墓

 

科長神社  南河内郡太子町山田3778 
科長神社は、平安時代の『延喜式』という書物に記録された、いわゆる式内社と呼ばれる由緒のある神社で、級長津彦命(しながつひこのみこと)、級長津姫命(しながつひめのみこと)など8柱を祀るために、八社大明神とも呼ばれている。社宝には神功皇后が使用したと伝える雛形の小さな兜がある

本殿

 

鹿谷寺跡  奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺跡は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院。中国大陸には敦煌や龍門石窟など、数多くの石窟寺院が見られるが、奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院は、我が国では二上山山麓以外には知られていない。寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されており、かつてこの周辺から日本最古の貨幣といわれる、和同開珎が出土している

   

石窟如来三尊仏(国史跡)

舎利孔

 

二子塚古墳
推古天皇陵の南東200メートルに位置する二子塚古墳は、方墳を2基つなぎ合わせた双方墳という珍しい形式を有している。東西の墳丘それぞれに、ほぼ同形同大の横穴式石室があり、石室の使用石材の隙間や表面に漆喰を充填塗布している。また蓋の縄掛突起が退化したカマボコ形を呈する家形石棺がそれぞれの石室に納められている。地元には本墳こそが本当の推古天皇と竹田皇子の合葬陵であるとする言い伝えがある。

   

 

 

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