石峯寺(せきほうじ) 京都市伏見区深草石峰寺山町26
1713年黄檗山大本山萬福寺の第6世千呆性が開創した。石峯寺は平安時代中期に摂津国多田郷に建てられた沙羅連山石峰寺に発するという。兵火に遭い、寺は焼亡したが、本尊の薬師如来像は土中から1596年に発見されたとされ、京都五条橋東あたりの祠に祀られていた。この薬師如来を尊崇する千呆和尚が、正徳3年、いまの深草の地に移したという。その後2度の本堂焼失により現在は釈迦如来になっている
本堂
内陣
五百羅漢は撮影禁止 Netより拝借 寺の境内裏山にある五百羅漢の石像群は、安永年間(1772年 - 1781年)から天明年間(1781年 - 1789年)にかけて絵師の伊藤若冲が下絵を描き、当寺の住職密山修大と協力して制作したもので、「若冲五百羅漢」としていまも親しまれている。当時は千体以上あったが、現在四百数十体が残っている