週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

和光寺(阿弥陀池) その2  2018.08.17

2018年08月20日 | 神社仏閣

難波池

物部尾輿が「向原の寺」を焼き払った際、仏像を「難波の堀江」に投げ込んだ。しかし、その後も疫病は続き、仏像は再度「難波の堀江」に投げ込まれる。現在の向原寺の寺域内には、これにちなんだ「難波池」がある
「難波の堀江」の名は、長野県の善光寺の創建にも登場する。『善光寺縁起』によると、信濃の住人・本多善光が都へ上都の際に「難波の堀江」の前を通りかかると、物部氏に投げ込まれて池に沈んでいた仏像が金色の姿を現し、「善光こそが聖明王の生まれ変わりである」と告げる。善光はこの仏像を背負って信濃に帰り、自宅の西の間の臼の上に置いて手厚く祀ったといい、それが善光寺の始まりとされている。

向原寺 難波池の由来

 

難波池

残った仏像を難波池に投げ入れる

 

 

向原寺

本堂

金銅観音菩薩41cm

 

 

難波の堀江

仏教を信仰しない貴族たちの手で、堂宇を焼かれ、仏像経典は難波の堀江の流された しかし、わざわざ難波の堀江までもっていって、捨てたとは思われないが、いずれにしても、伝承なので 真実は、わからない。

 

 

 

 

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和光寺(阿弥陀池) その1 2018.08.17

2018年08月19日 | 神社仏閣

和光寺 大阪市西区北堀江3-7-27
廃仏派の物部氏により難波の堀江に棄てられた 信濃国国司・本田善光が難波の堀江に棄てられた阿弥陀如来を池より救った このことからこの池が阿弥陀池といわれるようになった 後に池から救い出された阿弥陀如来は長野県飯田市に祀ったが 624年に現在の善光寺のある長野市元善町に移された智善上人が信州・善光寺の本尊が出現した霊地としてこの地に寺院を建立 蓮池山智善院和光寺と称した1698年堀江新地開発のとき 江戸幕府の命令で境内地を1800坪とし また永代寺地と定められた

 

 

山門

   寺紋

放光閣

本堂

阿弥陀三尊像

釈迦涅槃像

地蔵菩薩

monument

北向き不動松梅大明神無縁佛

   白龍大明神納骨堂三国伝来信州 善光寺如来 出現之霊地  伏屋素狄の顕彰碑 「実験生理の祖伏屋素狄」

不動明王

 

   

 慰霊塔手水

 

 

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土佐稲荷神社 その2 2018.08.17

2018年08月18日 | 神社仏閣

玉根社

若宮神社

源八社

石宮神社

大国社

磐居大神

 

  

弥太郎の弟

狛犬の台座の銘文 M26年2月

 

 

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土佐稲荷神社 その1 2018.08.17

2018年08月17日 | 神社仏閣

土佐稲荷神社  大阪市西区北堀江4-9
創建の由緒は不詳であるが、長堀川畔の土佐藩蔵屋敷に古くから鎮座していた。天正年間の創建とも、明和7年(1770年)に伏見稲荷を勧請したものとも伝わる。享保2年(1717年)、藩主山内豊隆が社殿を造営して蔵屋敷の鎮守社とし、一般の参拝を許した。以来、山内家は参勤交代で大坂を通る際には必ず当社に参拝し、社殿の修繕は藩費で行われた  明治初年、土佐藩蔵屋敷とともに当社は岩崎弥太郎に譲り渡された。岩崎弥太郎は当地で事業を営み、三菱の発祥の地となる。岩崎弥太郎は社殿の造替を行い、郷社に列格した

 

 三菱

一の鳥居二の鳥居

 

注連柱 

「今古想遺音」「春秋厳大祀

本社殿

本社殿

 

石宮大神

本殿

本殿

奥の院

   

社務所

岩崎弥之助寄進 狛犬 青銅

狛狐 横綱陣幕寄贈

高灯籠 加藤隆明寄進

兵庫谷源次郎歌碑

宝井其角 句碑 

蕉門十哲の第一の門弟といわれる。 『明星や 桜定めぬ 山かつら』

 

 

 

 

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仏隆寺 2011.09.24 Archives

2018年08月16日 | 神社仏閣

佛隆寺 宇陀市榛原区赤埴(あかばね)1684
室生寺の南門として本寺と末寺の関係にある。 空海が唐から持ち帰った最古の茶を栽培したといわれ、大和茶発祥の地とされる。彼岸の頃には約200段もの石段の両側をヒガンバナの花が埋め尽くす。

 

内陣

茶臼

入定石室 (重要文化財、鎌倉時代後期、安山岩、高さ 380Cm 幅 680Cm)

石室内

内部

庫裏

不動堂

   

大和茶発祥伝承地

高天彦神社

 

東屋

 

 

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談山神社 2012.12.02 Archives

2018年08月14日 | 神社仏閣

談山神社  桜井市多武峰319
鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。(680年)に講堂が創建され、そこを妙楽寺と号した

 

灯籠群

楼門

談峯龍神像 

鎌足公

談峯龍神像

本殿

狛犬 運慶

蟇股

十三重塔

阿加井屋

末社・総社本殿

恋神社

権殿

東宝庫

東大門 ここから参道を上って行くと、摩尼輪塔や後醍醐天皇寄進の石燈籠を通って境内へと続いている。東大門のある場所は、寺川に架かる屋形橋のすぐ上手にあたる

 

 

 

 

 

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東大寺図録 追加 2011.03.30

2018年08月13日 | 神社仏閣

  画像 名宝日本の美術 小学館より

  

誕生釈迦佛

 

大仏台座蓮弁の線刻画

執金剛神像・法華堂

僧形八幡神・国宝・快慶

不空羂索観音・国宝・法華堂右日光菩薩

宝冠

不空羂索観音宝冠 宝冠  水晶、翡翠、真珠など約2万個の宝石が飾られている

 勾玉 

勾玉

月光菩薩日光菩薩

弥勒佛

持国天 法華堂

持国天

持国天

 

広目天

増長天

帝釈天 国宝

吉祥天 法華堂

金剛力士 阿形 法華堂

地蔵菩薩 快慶

八角灯籠音声菩薩

戒壇院

広目天

持国天

 

増長天

 

多聞天

 

 

 

 

 

 

 

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下鴨神社 2013.11.22 Archives

2018年08月12日 | 神社仏閣

下鴨神社 京都市左京区下鴨泉川町59                                                         

カモ氏は加茂、鴨、賀茂、賀毛 等の表記がある カモ氏は代々山城の国の氏神様を祭祀してきた神官家である    賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。

 

楼門

本殿 国宝

東本殿

西殿

さざれ石

相生社

橋殿

神服殿

舞殿

細殿御所

井上社

河合神社

河合神社本殿

 

 

 

 

 

 

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高鴨神社 2012.02.28 Archives

2018年08月11日 | 神社仏閣

高鴨神社 御所市鴨神1110 

京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社と称する。4月中旬から5月初旬にかけて500種2,200鉢以上の日本サクラソウが咲く。 当地は鴨氏一族の発祥の地であり、その氏神として祀られたものである。鴨氏はこの丘陵から奈良盆地に出て、葛城川の岸辺に移った一族が鴨都波神社を、東持田に移った一族が葛木御歳神社を祀った。後に、高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになった

拝殿

本殿

本殿

西神社

祓戸神社

サクラソウ 

西神社

楠木正成像

天照大御神、天兒屋根命、住吉大神

 

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高台寺 2013.04.04 Archives

2018年08月10日 | 神社仏閣

高台寺  京都市東山区高台寺下河原町526
豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であると
ともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である

 

   

古絵図 都名所図会より

遺芳庵

庭園

方丈

開山堂

狩野山楽 TV

傘亭

天井

時雨亭

石庭

唐門

法輪堂

霊屋

念持佛 TV

高台寺蒔絵 桃山時代に流行した代表的な蒔絵の様式名称。平蒔絵,針描き,絵梨地 などの比較的簡便な技法を用いてすぐれた装飾効果をあげる  以下TVより

 

 

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