菅原院天満宮神社 上京区烏丸通下立売下る堀松町408
道真公の先祖三代がお住まいになった地でもあり、菅原道真公とその父是善卿、祖父清公卿を祀っております
社頭
拝殿
扁額
梅丸社
美しや 紅の色なる 梅の花 阿呼が顔にも つけたくぞある
遺愛灯籠
句碑 神遺愛 古梅
社務所
菅原院天満宮神社 上京区烏丸通下立売下る堀松町408
道真公の先祖三代がお住まいになった地でもあり、菅原道真公とその父是善卿、祖父清公卿を祀っております
社頭
拝殿
扁額
梅丸社
美しや 紅の色なる 梅の花 阿呼が顔にも つけたくぞある
遺愛灯籠
句碑 神遺愛 古梅
社務所
教興寺 八尾市教興寺7-21
寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じて崇峻天皇元年(588年)に建立したという。 寺は中世には荒れ果て、鎌倉時代に、
奈良・西大寺の叡尊が復興した。叡尊は河内布教の帰途の際、教興寺が荒れ果てているのを知り、文永6~7年(1269年 - 1270年)にかけて再興した。
また、叡尊は蒙古襲来の際に敵国降伏の祈祷をしばしば朝廷より命じられているが、教興寺においても祈祷している
古絵図
修行大師
庫裏
本堂
扁額
弥勒菩薩
焼香炉
大楠
安養寺 八尾市恩智中町4丁目11
安養寺は浄土宗で本尊は阿弥陀如来である 八尾市
子安地蔵
弘法大師
庫裏
本堂
内陣
修行大師
層塔
不動明王堂
神変大菩薩
不動明王
脳天大神
重春稲荷
重春稲荷大明神
大師堂
大師堂内
経塔
毘沙門堂
社務所
銅鐸の碑
近衛邸跡の桜 御苑北西部 京都御所の高御座を見に行ったが、コロナウイルスのため、現在中止 御所の一般公開のみ 御所は以前参観しているので、 近衛邸跡の桜を見に行った 桜は、満開であった。
桂宮邸跡
恩智神社 八尾市恩智中町5-10
当社の創建は大和時代の雄略年間(470年頃)と伝えられ、河内の国の御守護のためにお祀りされた神社で、国内でも有数の古社であり、後に延喜式内名神大社に列する神社であります
奈良時代(天平宝字)に藤原氏により再建されてより、藤原氏の祖神である『天児屋根命』を常陸国「現香取神宮」より御分霊を奉還し、摂社として社を建立したその後、宝亀年間に枚岡(枚岡神社)を経て奈良(春日大社)に祀られました。
従って当社は元春日と呼ばれる所以であります Home pageより
入口
参道
手水
拝殿
本殿
本殿裏手の古墳 右奥
神 龍
祖霊社
六社
六社 右手奥から天照大神社 祭神 天照大御神玉祖神社 祭神 櫛明玉命
蛭子神社 祭神 事代主命熊野神社 祭神 熊野櫲樟日命安閑神社 祭神 安閑天皇
神宮寺感應院 八尾市恩智中町5丁目14 恩智神社の登ったところ
感応院と称し真言宗高野山普門院末。古くは恩智神社の神宮寺として神社の境内にあった。 本尊の十一面観音像は国の重要文化財また絹本着色不動明王像は府の重要美術品としてそれぞれ指定されており、慈雲尊者裏書の十六善神像など寺宝が多い。 本堂の内庭は僧愛石の作と伝えられている 大阪再発見より
僧愛石(江戸時代、文化・文政(1804~1830)頃の画僧)の作と伝えられている
本堂
木鼻
内陣
寺務所
地蔵尊
右 観音堂
post card
post card
眺望
来恩寺 八尾市恩智中町4 「恩智」駅 東へ約600m
当山の縁起は、現在の地に江戸中期より来福寺という名の小さなお堂があったところで、(明治39年)に、現在地より東南200メートル生駒山系の中腹にあった恩覚寺と合併し、以来、来恩寺(融通念仏宗)としての歴史は100年足らずだが、来福寺(浄土宗)、恩覚寺(真言宗)の合併の名残として、本尊の観音菩薩像の脇にそれぞれ、阿弥陀菩薩と弘法大師像が安置されている。また、元の観音像は移転の際、傷みがひどく現在は本堂に安置されず、新しい観音像と観音画像を祀られている 大阪再発見より
本堂
内陣
観音菩薩
卵塔
本堂に飾ってある絵画 許可を得て撮影
不思議な猫世界 NHK TV より
梅宮大社 京都 猫 https://blog.goo.ne.jp/chx15430/e/67cec6e5964e8740be2a66fa4f1dcb44 --blog
住吉大社 楠君社 招き猫
八十八か所 64番 前神寺の招き猫 高さ1.3cm
宝積寺 京都府乙訓郡大山崎町大字大山崎字銭原1
724年、聖武天皇の勅命を受けた行基による開基と伝える。聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」の別名があり、大黒天宝寺ともいう 宝積寺は、山城国(京都府)と摂津国(大阪府)の境に位置し、古くから交通・軍事上の要地であった天王山(270m)の南側山腹にあり、寺伝では(724年)、聖武天皇の勅願により行基が建立したと伝える。 秀吉は大坂城ができるまでのあいだ戦場付近の天王山の宝寺を城郭化してそこを仮の根拠地にしていた。歴史を紀行する司馬遼太郎 p-246
山門
本堂
十一面観音
木造慈恵大師坐像
小槌宮
内陣
三重塔 「秀吉一夜造りの塔」とも呼ばれ、山崎の合戦で亡くなった人を弔うため一夜で建立したという逸話が残っている
相輪
閻魔王堂
神変大菩薩