がんになってもぽじぽじいこか

2012年6月食道がん発見、53歳でした。始めての体験で体当たりの治療とリハビリ。見つけたものも意外にあり!

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2013-01-22 11:10:38 | がん・腫瘍全般
80歳の女性とのおしゃべり
道からちょっと坂を上ると我が家。
すぐ下のおば(あ)さんとの会話、この頃1mmの年齢差を感じさせなくなった。
「もう何年も着てないコート、捨てねばね。ちゃんと洗濯も出してあって、安くはなかったんだけどね」
「着ないね。捨てるしかないね。しょうがないよね。流行ってある。後からこんなもんまでとっておいてって言われるのやだもんね」
「あんた、じゃ、着物はどうする?」
「それは捨てないで、リフォームとか、買い取りとかあるらしいよ」
「昔さ、お召しが好きでよくこさえたんだよ」
「着物は代々って言うけど、体格も変わると無理ね、おはしょりも取れない、自分一代だね、リフォームしてドレスは~?」
「あはは、なにいってんだい。金曜日だね、今度の。古着のゴミの日」
「ぼちぼちきれいにしときますか、今から」
おばさんはわたしのがんを静かに認めてくれている聡明な人だ。
話しながら二人でふと空を見る。
おばさんは「明日、雨だってね」などと意味なくいつも天気のことを言う。
「早いよ、時間が過ぎるのは」と人生の総括も一緒に言うのだった。
その横で5年後の生存率はどっちが高いんだろうか、とふと思うわたし。
じいっと空を一緒に見て、じゃ、と家に入る。

まるで公園のベンチでタバコ吸う年寄りの会話
若い頃のイメージだと、そう。
日溜まりで年寄りが集まってしゃべくっている風景みたい。
これって、ものすごくあたたかいんだよ。
あたたかいというより、空気が優しいって言うのかな。
ま、わたしもがんにかからなかったとしたって半世紀以上生きているのだ、今まで生きたより残っている時間の方が少ないであろう。
それをくる日もくる日もご飯を食べるように当たり前に一緒に確認する。
難しいセラピーとかより、ごく普通に受け入れていく。
それは一人じゃ出来難い。
相手をいたわったりしながら残りの時間を互いに確認している。

死ぬつもりはない
悲しくもないし、メランコリックでもない。
基本的に死ぬつもりないですから。
黙ってふたをして考えないようにするより、人とシェアしたほうが生きやすいのだ。
残り時間の心配さえ人と相談しておくとほっとあたたかい余裕がうまれる。(わたしは余裕のよっちゃん)
互いの知恵を駆使し、要らぬものの処分も今から出来れば穏やかなのだ(わたしはさすがのさっちゃん)

ブログは素晴らしい、感謝
その昔、インターネットってこんな風に発展すると思えなかった。
アナログ回線(今とはまた違う)で、つなぐとき電話の呼び出し音がして、プロバイダまでの通話料が課金されていた。
遅かった、それでもすごいすごいと言っている人もいた。
回線関係の進歩もびっくりだが、ブログとかSMSとか人と人とのネットワークにはもっともっとびっくりしている。
ブログってネットワークの先にいる「あなた」に支えられているなあって気がする。
一人で日記書いているのとは根本的に違う。
片田舎でリハビリして家にいてもパニクらなくていい。
「あ~~~わたしは一人ぽっち、理解者はいないわ」と、焦る事もなくて済む。
これだよね、これから先、こういうものが大事。
芸能人のブログじゃなくても、自分と共感する人のブログで支え合う。

主役は人なんだよなあ。
それが今回泣ける程わかった。
弱い時は泣き、同じ立場の人に気付き、変わることが出来る。
ストレスはがんにも他の病にも最もよくない。
それがあたたかいもので満たされる瞬間がある。
それが出来るのは人なんだなあと思った。

しぶとく頑張ろう。