がんになってもぽじぽじいこか

2012年6月食道がん発見、53歳でした。始めての体験で体当たりの治療とリハビリ。見つけたものも意外にあり!

過激にポジティブな希望に支配されてしまった、ガチにぽじなのだ

2013-01-23 12:29:34 | がん・腫瘍全般
今日は、ほんとの日記です。頭がハイになって夜眠れなかったので、夜中に書いていました。
職場に年始のあいさつ(?)に行った
ちょっと心の葛藤があったんだよね。
行きたい気持ちと、行かなくちゃという義務感と、行きたくない、こわい、みたいな心理と。
だって、突然仕事放棄して7ヶ月。
この7ヶ月は人に伝え難い程重大であった。
皆に心配も迷惑もかけて(迷惑、とは誰も言わないだろう、でも厳しい現場ですっごい負担を甘受してもらった)当初は病名も言えず、療養に入ったのだった。
途中、抗がん治療の合間、術後一回ずつ顔は出している、息子に運転して付き添ってもらって。
この一ヶ月、急速に自分の力が戻ってきている。
ブログも出来た。
メシも食うとる。
友達と会うことも出来てきている。
自分で自分の背中を押す。
よし、行くぞ!

思いがけない心の変化
職場への道は田舎なので風光明媚。
この道を「胸の奥がなんだか痛いぞ」と自覚症状を感じて帰ってきていたり、
きらめくひかりの中、アセアセしながら急いでいたりしてきた。
見慣れた道路がリラックスさせてくれる。
職場では、みんな、わたしの復帰を待っていてくれた。
仲間として。
午睡中の子どもたちにも対面する。
いけない子が起きていてわたしを見ると眼を輝かせてうれしがる。
また、ここに戻って働きたい。
まだまだ無理、と思っていた気持ちがからから壊れる。
働きたい、という願望は即、現実性を持って組み立てられる。
「一時間、二時間ずつでもまず始めたい、今年度中に」とお願いしてしまった。
それは自分でもびっくりする動きだった。

保険金、傷病手当じゃない収入で生きたい
すてきな女性が障害者福祉の仕事をしていて、彼女は「払う自立」を最終目標にしている。
障害者はもらう、じゃなく、税金が払えるまで支援したいし、そういう世の中を作りたいと。
すごいでしょ?
猛烈に好きだ、そういうの。
乞食の心は持たない精神が好きだ。
このまま大事に大事に過ごすより、幾ばくかでも働いてみて、で、きつすぎたらも一回止めても良い。
体は順応する。
一番のリハビリかもしれない。
ごっちゃにして書いてきた部分もあるが、手術まではがん患者として生存し、
がん細胞を取り除いてからはリハビリしている療養患者である。
「わたしは病気」ではもうない、元の体には戻れないが、なんとか生活をしようとしてきた。
最終目標は職場復帰。わたしはまだリタイアには早すぎる、食い扶持を稼ぎたい。
背伸びしてままごとでも、行くだけでも職場に行くのだ。
笑われたって、迷惑かけたって良い。
何年か先に完全復帰が出来ればいい、出来ないと見極めるだけでも良い。
普通に働くというより、逆流して泡を吐いても「ごめ~ん」という強さを持つという事かもしれない。自分にとって。

働くって「はた」を「らく」にするということ
賃金労働だけじゃなく、家事育児、人はみなずっと働いている。
対価は色々だと思う、それは究極、関係ないとわたしは思っている。
退院後、自分のためだけに全てを使った4ヶ月。
人の存在に助けられて支えられて、食べて、寝てそこそこ一人暮らしを最低限してきた。
好きなことだけをして。
その先に置きたいのはわたしは働くという目標だ。
働くって意味を痛い程感じる。
今後の検査(3月)で再発がなければリハビリ休暇は終わりにしようと思った。
それがかなわない結果が出た場合も、目標は先延ばしするだけの事だ、治療に専念しようと思う。
もし、元気に働けたら、それもがん患者の希望になると信じている。
再発したら、また対処すれば良い。
まだ、隠居には少し時間がある、投げ出した仕事に復帰が希望なのだ。
現実にかなうかどうかはわからないが、希望するのはわたしの問題だ。
やるべ。
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