日本の失われた30年は、高齢化と人口減少によるデフレであると、一部の経済学者が口を酸っぱくしていい続けていましたが、その通りになっています。GDP=人口×1人当たりGDP。日本の質の高い労働者の均質化は、計算式にぴったりです。経済って結構シンプルなものです。
このまま労働人口が減り、経済が縮小し、国力が弱り、貧富の差が開けば、人々の不満は蓄積され治安も悪くなっていくのは確実です。
移民を入れると、それはそれで様々な問題が起きることはヨーロッパを見ればわかりますが 、移民を入れず治安が悪くなっていく過程があるのなら移民受け入れは不可避のような気がします。
どんな良識のある人も、飯食えなくなると必ず暴れだしますから、労働人口を増やし経済成長しないと最悪の未来がやって来ます。
株屋にとっては移民の受け入れは必要だと思いますが、技能実習生の低賃金、長時間拘束など、過酷な環境は人権問題の関わる奴隷制度のようにも見えます。コンビニやドラッグストアやスーパーで多くの「留学生」らしき若者を多く見ます。労働環境は最悪というような内容では無さそうです。技能実習生制度が問題なのでしょう。広島でも江田島中国人研修生8人殺傷事件というのもありましたから、蟹工船のような闇があるのかも知れません。
いろんな説がありますが、人口と国力は比例しやすく、高度成長期は人数と消費と未来への希望というシンプルな要素で構成されているように思えます。決して官僚が優秀だったからではなさそうで、中国を見ていると上級国民の腐敗、不正蓄財の額がとんでもないのですが、それでも経済発展します。毛沢東は「銃を持った敵の前では英雄の名に恥じない。しかし、砂糖でくるんだ砲弾には打ち負かされる可能性がある」と予言していました。その通りですが、どんな酷い状態でも腐りきっても経済は発展していくのでしょう。経済発展を妨げるものは内向きな考えや内向きな政策から自滅していくような気がします。ひとりっこ政策は、将来の足かせになるかも知れません。内向きな閉鎖感はよい結果は出ないでしょう。
明の宦官、鄭和(1371年~1434年)は、コロンブス(1451年~1506年)の新大陸発見よりも前に大航海をしています。技術力、発明、国力がありながら、なぜ中国は産業革命が起きなかったのか不思議です。コロンブスが新大陸に降り立った時に、一番最初に中国人にニーハオって挨拶されたかどうかはわかりませんが、新大陸は中国人だらけだったとしても納得できるだけの国力があったハズです。
・https://www.lsbkw.com/zh-tw/lsms/lszx/323175.htmlで拝借
明は1371年に「海禁令」を出し、海外との交易、大船の建造などを禁止し、宋・元時代の資産、ジャンク船の海外貿易は衰退。閉鎖的な「海禁令」は国力を奪い、気づかぬうちに下り坂を転げ落ち、アヘン戦争からの屈辱の100年を味わう事に繋がったと思われます。
下級国民の私としては、日々を生きていくしかありませんが、内向き、後ろ向き、閉鎖感、密室性よりも、移民が自由に働ける開かれた社会、開放感のほうが大切な気がします。