5月2日 拝啓 トンプソンひとみさま

2009年05月02日 | 風の旅人日乗
トンプソンひとみさま、コメントありがとうございます。
返事が長くなりそうなので、日記のほうに書かせて頂きます。

ホクレアの周防大島寄港の際には、役場の方たちにも大変お世話になりましたが、
安全な泊地確保など、藤井船長の大車輪のご活躍がなければ不可能なことでした。

新門司から周防大島に到着したときも大変お世話になりましたが、
それだけでなく、
広島から宇和島への航海の際、
航程と潮流のタイミングを計算し直すと、
どうしても途中一箇所で仮泊しなければ宇和島到着が日没後になる恐れがあることに気付いて
大島丸の桟橋に一晩仮泊させていただきたい旨をお願いしたときも
(恐らく学校の行事をずらせてまで)、温かくホクレアを迎え入れていただきました。

生徒さんたちの有志が、休みを返上して大島丸でカレーを作って待っててくださり、
ホクレアのクルーたちはそのカレーをいただいた後、
大島丸の船室でぐっすりと眠ることもできました。
次代を背負って立つ若手ナヴィゲーターの第一人者であるカイウラニが、寝坊をして朝の集合時間に遅れ、みんなに冷やかされていましたが、
それほど、ホクレアのクルーたちにとって大島丸のお腹の中は心地良かったのでしょう。

翌朝5時に大島丸の桟橋を離れてすぐ、
ナイノアはホクレアのセールを開き、セーリングで周防大島に別れを告げました。
大島商船の生徒さんたちは、ホクレアのセーリングを見ることができた数少ない日本人たちです。

藤井船長がパソコンでブログを読んでいる姿は、あまりうまくイメージできませんが、ぜひよろしくお伝え下さい。
本のタイトルは「朱印船貿易史」、著者は川島元次郎氏、巧人社刊、です。

実は、ぼくは30年も前に沖家室島に行ったことがあります。まだ周防大島と橋でつながる前のことです。半自作のヨットで、2人の友人と東京の大学から小倉の実家に帰る途中の、最後の寄港地でした。
その後、その島のことはすっかり忘れていたのですが、ホクレアの日本航海が終わった後に、実家に帰省して、学生時代のセーリングノートをパラパラとめくっているうちに、そのときの島が沖家室だったことを思い出しました。
そのときに島の子どもたちと一緒に撮った写真と、森本孝氏の本に載っていた写真とを見比べて、入った港が本浦だったことを知りました。
ナイノアから、沖家室出身のヨシさんの話を聞いた直後だったこともあり、とても不思議な縁を感じました。

小泉クン、知ってますよ。
2006年12月の沖縄・本部でのセーリングキャンプのときに一緒でした。ナチュラルなセーリングセンスを持っている、非常に優れた少年ですよね。
もしヨットレースを続けるのなら、彼のセンスを素直に伸ばしてあげることができるコーチに出会えれば、かなりの選手になることだと思います。
ホクレアが大島丸の桟橋に停泊しているときにも、お父さんと一緒に遊びに来てくれました。