5月6日 サムが来た

2009年05月07日 | 風の旅人日乗
サムが葉山にやってきた。
冷たい雨の中を逗子駅までやってきたサムは、少し疲れているようで、ハワイにいるときのような元気がなかった。
ハワイから来たサムには、この日の、季節はずれの日本のうすら寒さは、結構辛いのだろう。

サムは、カマヘレのクルーで、日本語韓国語その他数カ国語ペラペラのアメリカ人。
もちろん英語もうまい、というか、それはサムの母国語だ。
ホクレアとカマヘレの日本航海でも、一部区間を除いてサムはカマヘレに乗っていたし、
先月のポマイラ環礁からオアフ島への航海でも、ぼくらはカマヘレで一緒だった。

丸2週間かかったその航海で、
ぼくの当直は、08時-14時と20時-02時だったのだけれど、
サムは、ぼくが一人当直になる真夜中の00時-02時の間、
自分の当直ではないのに起きてきて、
コーヒーを入れてくれたり、お茶漬けを作ってくれたりして、付き合ってくれた。
航海の終わり頃の数日は、
2人だけで午後8時から翌日の04時くらいまで、
暗闇の嵐の中、ホクレアを見失わないよう一定距離を保って並走するよう、
カマヘレを緊張して操船しながら、いろんなことを話した。

サムがいたからぼくは、ポマイラ航海の日々、
心をホクレアのサポートとカマヘレのセーリングに集中することができた。

オアフ島に着いた翌日、ナイノアとの深い話になった夜にも、
サムは一緒にいてくれて、ぼくたち2人の間の通訳になってくれた。
サムがいなかったら、ナイノアの深い話を、
ぼくは正確に理解できていなかったに違いない。

サムは、ナイノアがあの夜口にした重い言葉を、
母国語としての英語で直接聞いている人物で、
だから、その後のぼくの心の中のありようを、
とても正確に理解してくれている人物だ。

葉山での夕食のとき、朝食のとき、
そしてぼくの仕事先に向かう途中の三崎口駅までの車の中で、
ハワイで話し足りなかったこと、ハワイから日本に戻ってきてから考えたことを、
たくさん話した。

ぼくよりもかなり年下のサムだけど、
今やサムは、ぼくにとってとても大切な友人だ。

あと2週間日本に滞在して仕事を頑張るそうだけど、
また明後日からは暖かくなりそうだし、
元気モリモリのサムになって日本を楽しんで下さいよ!