10年前

2010年12月12日 | 風の旅人日乗
今日は東京の船の科学館で、子供たちとそのお父さんお母さんたちにホクレアの話をする日。

その資料を作るために、ホクレア資料箱の中をあさっていたら、しわくちゃになったポジフィルムが出てきた。

それは、2001年に初めてワタクシがホクレアに乗せてもらったときに、
ステアリングやセール作業の合間に、遠慮しつつコソコソ撮らせてもらったものだ。
あの頃は、ホクレアに乗るにも、デジタルじゃなくてフィルムだったんだなあ。

ナイノアが写っていたり、いい夜明けを撮ったりしたコマは、切り抜いてマウントにして雑誌社に渡してしまい、
そっちのほうはその後、行方不明になった。
それ以外の残りのコマが、スリーブのまましわくちゃになって箱の隅にあったのだけど、
それをゴミ箱に捨てる前に光に透かして見ていたら、
ンー? この人知ってるかも!というクルーが写っていた。
それがこの写真。



現在はホクレアのキャプテンの一人であり、年明けにも進水するカウアイ島の外洋航海カヌー、ナマホエのキャプテンであり、
カウアイ短期大学の教授であるデニス・チャンの、約10年前の雄姿。
早速デニスにメールで送ったら、すぐに返事が来て、
「10年前にもう一緒にホクレアに乗っていたとはなあ。光栄だぜ。」
いえ、コチラこそ。

このときホクレアは、モロカイ島とラナイ島の間のチャンネルを抜け、マウイ島のラハイナに向かって曳航されている。
ホクレアを曳航しているエスコートボートを運転しているのは、タイガー・エスペリ。
だから、この写真のデニスの視線の先には、エスコートボートを運転している、まだ生きているタイガーの背中がある。

そのタイガーを補佐するために、ナイノアはこの日の夜が明けるずいぶん前に、ホクレアからエスコートボートに泳いで乗り移っていった。

この日は、カホオラヴェ島がアメリカ軍からハワイ人へと返還されるセレモニーが行なわれる日で、ホクレアはそれに参加する。
オアフ島のハワイカイから出航したホクレアは、
カホオラヴェ島に行く前に、セレモニーに出席できないハワイ人以外のクルーをマウイ島で降ろすために、ラハイナに向かっている。

ぼくらハワイ人以外の見習いクルーたちは、一晩中ずっとマカ先生から丁寧に、かつ厳しく、ホクレアのクルーワークを教わった。
そのマカは、今も新人たちに厳しくホクレアのクルーワークを教えている。
ぼくは最近やっとマカから新人扱いされなくなったが、嬉しいような寂しいような、複雑な気持ち。

マカは、今、返還されたカホオラヴェ島に住み、アメリカ軍の何十年にも渡る爆撃訓練で破壊され尽くしたカホオラヴェの自然体系を元に戻す活動に余念がない。それに疲れたら時折ホクレアに乗りに来て、心を癒している。

ホクレアの日本来航が実現するのは、この写真を撮ってから6年後のことだった。