小笠原村父島2月無作為日記-6

2011年03月10日 | 風の旅人日乗
昨日と一昨日の夜は、どちらも仕事には直接繋がらないんだけれけど、
アメリカズカップ挑戦の話( というか、日本の次世代のセーラーのための道筋を、
オイラたち世代としてはどのように付けてあげればいいのか、という話)と、
とホクレアを核にした海と航海教育学校開設の道筋の付け方について、
の2つの話を、それぞれの適任者の方々と、東京でじっくり語り合った。

ココロの片隅には、本来の自分のシノギ(食べるための仕事)のことが重く存在しているんだけど、
こっち2つのことも、キチンと進めていかなければならんことでもあるのでね。
疎かにはできん。
人生は一回きりなのでね。



さて、小笠原父島2月無作為日記のほうも、どんどん進めていかなければならない。
来週からはキラウエア大噴火中ハワイ日記が始まることになっているので、
2010年2月のハワイ・ホクレア号トレーニング参加日記のように、
世に出ないまま時間に埋もれていってしまう恐れがある。



しかしどうも、飯を食う時間はあるけど、日記にじっくり割く時間がない。
ハワイに行く前までに終わらせておかなければならない
アレヤコレヤのシノギの重要案件の『急げ! 急げ!』シグナルが、
アチコチで点滅し始めているのだよ。



そういうことなので、今日は先を急ぎますが、
今回の小笠原滞在でよく分かったことは、
この島は、人生の節目節目のたびに訪れていたワタクシにとっての、
『ラッキー・アイランド』だったのだ、ということ。



詳しくは時間のあるときにキチンと書き残しておこうと思うけど、
この島に来るたびに、そのあとの自分の人生の扉が、パタン、パタンと開いていった。
それらの扉の先にはいつも、自分の夢に沿った、次のステップの人生が待っていた。
ウン、まさしくそうであったと、今も再確認している。



さあ、もうあまり残っていないワタクシの人生の次の扉が、もうすぐ開くよ、きっと。