現実を見つめるということ

2011年04月04日 | 風の旅人日乗
自分も何かしなくては! と考えて、まずは現地で手伝いを、と往復のガソリンと自分の食料と寝袋と、持って行けるだけの食料と衣料を携えて気仙沼に行ったチームニシムラプロジェクトのメンバーの村橋さんが、戻って来られた。

行く前の元気がすっかりなくなり、だいぶ憔悴されて戻って来られた。いつもの笑顔も消えていた。

メディアは、現地の人たちの様子を正確に伝えていない、と言う。
視聴者受けすると彼らが考えているらしい美談ばかりを追っている、と言う。

大本営発表をそのまま各局が延々と流し続けて電気の無駄遣いをする。
たまに独自の取材をしてきたかと思うと、犬が一匹助かったと大はしゃぎで「ニュース」にする。
女レポーターは、なぜか現地でも念入りなメーキャップを施して画面に出てくる。

とても正気の沙汰とは思えない。
自分たちがおかしいことをしていることになぜ気が付かない? 
なぜテレビ局内の人間たちでそれを自浄できない?
しかーし、こんな特殊なメディアを育ててしまったのも、
ワタクシたち日本人自身なんだよね。

被災し、極限の恐怖を体験し、愛する肉親を失くし、
長い避難所生活を送っている人たちは疲弊し、無表情で、
精神的にも肉体的にも、非常に追い詰められたところまで行っているらしい。

「何か力になりたくて来ました。なんでも言って下さい」
と言っても、無視されるか、あるいは、本当の苦労をしていない人間の『上から目線』的行動と取られ、憤りを表現する人たちも少なくないらしい。

テレビを観て現場を知ったつもりになっていたのは間違っていた、
と村橋さんが辛そうに話しておられた。

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日本人が引き起こした重大な人災である福島の事故は、
まだ被害を広げつつあって、
大気中だけでなく海をも破滅的に汚染し始め、
諸外国が本当に心配し始めた。
ハワイやニュージーランドの知人が、
いつでも迎えてあげるから逃げて来い、と連絡してくる。

怖がりすぎてパニックを起こすのは間違っていると思う。
それは大いに認める。
だが、「大丈夫」一点張りの大本営発表を流すばかりのメディアのおかげで、
正確に事態を把握できず、本当は怖がるべき事態を怖がっていないのは、
一番近いところにいる日本人だけではないか、と思える。

事故を起こした責任のある日本人の一人として、
自分本人はこの国を逃げ出すつもりなどないが、
未来のある子ども達とそのお母さんを、
危険の中心から離れた遠くに疎開させることも、
自分の責任かも知れないと、
このところセーリング中でさえ、考えるようになってきている。

ふと思うんだけど、
セーリングというスポーツはとても健康的で、
しかも自然を満喫できるスポーツなんだけど、
放射能汚染している風を帆と頬に受けてセーリングする日がこようとは、
夢にも思っていなかった。
悪い夢のようだけど、これは、現実にいま、自分の周りで起きていることなんだな。

積極的に賛成こそしなかったけど、
国や原子力学者や電力会社の言うことを鵜呑みにして、
原発を容認してきたことが、本当に、本当に悔やまれる。
「想定を超えた津波が・・・」と言い訳をしているが、
原発が制御不能になったり壊れたりしていいのは、
地球上のすべての生物が全滅するくらいの規模の災害に見舞われたときだけのはずだ。